
胡蝶の夢~私の最愛~⑪【夢路・ゆめじ】
第29章 岐路(みち)
泰雅は泉水自身が知りもせぬ彼女の身体のあちこちについて知り尽くしている―、この男が自分の身体の隅々まで知っているのかと考えただけで、叫び出したいほどの嫌悪感と絶望に襲われた。
「な、俺と一緒に江戸に帰ろう。黎次郎も大きくなったぞ? 母の顔を見れば、あの子も歓ぶだろう」
強い力で引き寄せられ、抱きしめられる。
懸命に抗う中に、その場に押し倒されていた。菜の花の褥に横たわる泉水の上に泰雅が覆い被さる。
泰雅の顔が間近に迫ってきて、泉水は咄嗟に顔を背けた。生温かい息が首筋に吹きかけられ、大きな手のひらが衣越しに胸のふくらみをまさぐろうとする。
「いやっ」
涙が溢れ、菜の花の黄色がぼやけた。
恐怖と怒りがふつふつと湧き上がる。
何故、いつもこんな風になってしまうのだろう。もう二度と顔を見ることもないと思っていた男だった。一体どこまで逃げれば、この男の手の届かぬ場所にゆけるのか。
―また、捕まってしまった。
こんな男の前で涙は見せたくないと思うのに、気持ちとは裏腹に涙は次々に溢れ、頬を濡らす。
「泉水、泣かないでくれ。俺はお前を哀しませるつもりはないんだ。ただ、俺はお前に惚れているだけなんだ。な、判ってくれ」
嫌だと言っているのに、一向に聞く耳を持とうとしない。以前から、そうだった。どれほど泉水が嫌がっても、泰雅は夜伽を止めることは許さなかった。
もう二度と嫌だ。あんな汚辱にまみれた日々を送りたくはない。折角手にした今の平穏な日々を失いたくない。そう思って幾ら抵抗しても、屈強な泰雅が相手では泉水の動きは難なく封じ込められてしまう。
泉水は渾身の力で、泰雅の身体を突き飛ばした。ふいをつかれ、泰雅の身体が一瞬、離れる。その隙を逃さず、泉水は泰雅の下から這い出た。
恐怖のために華奢な身体が小刻みに震えている。
泉水は烈しく首を振りながら、後ずさる。
怖かった。眼前の男が無性に怖かった。
「泉水!」
振り絞るような声。
だが、泉水はパッと身を翻した。墨染めの色も鮮やかな法衣が翻る。それは、あたかも蝶が捕えようとする者の手から、ひらりと身をかわすのにも似ていた。
「な、俺と一緒に江戸に帰ろう。黎次郎も大きくなったぞ? 母の顔を見れば、あの子も歓ぶだろう」
強い力で引き寄せられ、抱きしめられる。
懸命に抗う中に、その場に押し倒されていた。菜の花の褥に横たわる泉水の上に泰雅が覆い被さる。
泰雅の顔が間近に迫ってきて、泉水は咄嗟に顔を背けた。生温かい息が首筋に吹きかけられ、大きな手のひらが衣越しに胸のふくらみをまさぐろうとする。
「いやっ」
涙が溢れ、菜の花の黄色がぼやけた。
恐怖と怒りがふつふつと湧き上がる。
何故、いつもこんな風になってしまうのだろう。もう二度と顔を見ることもないと思っていた男だった。一体どこまで逃げれば、この男の手の届かぬ場所にゆけるのか。
―また、捕まってしまった。
こんな男の前で涙は見せたくないと思うのに、気持ちとは裏腹に涙は次々に溢れ、頬を濡らす。
「泉水、泣かないでくれ。俺はお前を哀しませるつもりはないんだ。ただ、俺はお前に惚れているだけなんだ。な、判ってくれ」
嫌だと言っているのに、一向に聞く耳を持とうとしない。以前から、そうだった。どれほど泉水が嫌がっても、泰雅は夜伽を止めることは許さなかった。
もう二度と嫌だ。あんな汚辱にまみれた日々を送りたくはない。折角手にした今の平穏な日々を失いたくない。そう思って幾ら抵抗しても、屈強な泰雅が相手では泉水の動きは難なく封じ込められてしまう。
泉水は渾身の力で、泰雅の身体を突き飛ばした。ふいをつかれ、泰雅の身体が一瞬、離れる。その隙を逃さず、泉水は泰雅の下から這い出た。
恐怖のために華奢な身体が小刻みに震えている。
泉水は烈しく首を振りながら、後ずさる。
怖かった。眼前の男が無性に怖かった。
「泉水!」
振り絞るような声。
だが、泉水はパッと身を翻した。墨染めの色も鮮やかな法衣が翻る。それは、あたかも蝶が捕えようとする者の手から、ひらりと身をかわすのにも似ていた。
