
胡蝶の夢~私の最愛~⑪【夢路・ゆめじ】
第29章 岐路(みち)
泉水が大人しく意に従えば、泰雅とて寺を潰すような無体はしないだろう。もう、自分のために誰も苦しめたくはない。母とも慕った時橋は、泉水が世捨て人となったことに罪の意識を感じ死んだ。あの時、泉水が時橋の心にもう少し気をつけていれば、時橋を死なせずに済んだかもしれないのだ。
時橋亡き今、光照は、たった一人の心の拠り所であり、大切な人であった。大切な人を全力で守りたい。哀しませたくない。そのためには、自分が泰雅の望むように江戸に赴くしかないのだ。
祈るように両手を握りしめ、一度眼を閉じ―泉水はゆっくりと顔を上げた。
「庵主さま、私が江戸に参ります」
真っすぐに光照を見据えて告げる。
刹那、光照の眼が見開かれた。
「何を言うのです。馬鹿なことを考えるのはお止しなさい。この度のことを振り返るにつけ、榊原さまから逃げてきたという蓮照の気持ちがよう判りました。まともに物事を考えられるお方であらば、このようなことはまずなさらないでしょう」
伊左久にこの寺に来たおおよその理由を話したのと同じ頃、泉水は光照にもすべての事情を打ち明けている。ゆえに、光照は泉水が五千石取りの直参旗本榊原泰雅の正室であったことも知っていた。
「庵主さま、私にとって庵主さまは今、いちばん大切な方にございます。五年前、私がこの寺を初めてお訪ねした日も、庵主さまは何も仰せにならず私を受け容れて下さいました。以来、ひとかたならぬご恩を賜って参りました。今、私ができるは、黙ってここを出てゆくことくらいのものにございます。今日まで可愛がって頂きましたのに、何もご恩返しのできぬまま出てゆくのは心苦しうございますが」
泉水が消え入るような声で言うと、光照はやや強い語調で言った。
時橋亡き今、光照は、たった一人の心の拠り所であり、大切な人であった。大切な人を全力で守りたい。哀しませたくない。そのためには、自分が泰雅の望むように江戸に赴くしかないのだ。
祈るように両手を握りしめ、一度眼を閉じ―泉水はゆっくりと顔を上げた。
「庵主さま、私が江戸に参ります」
真っすぐに光照を見据えて告げる。
刹那、光照の眼が見開かれた。
「何を言うのです。馬鹿なことを考えるのはお止しなさい。この度のことを振り返るにつけ、榊原さまから逃げてきたという蓮照の気持ちがよう判りました。まともに物事を考えられるお方であらば、このようなことはまずなさらないでしょう」
伊左久にこの寺に来たおおよその理由を話したのと同じ頃、泉水は光照にもすべての事情を打ち明けている。ゆえに、光照は泉水が五千石取りの直参旗本榊原泰雅の正室であったことも知っていた。
「庵主さま、私にとって庵主さまは今、いちばん大切な方にございます。五年前、私がこの寺を初めてお訪ねした日も、庵主さまは何も仰せにならず私を受け容れて下さいました。以来、ひとかたならぬご恩を賜って参りました。今、私ができるは、黙ってここを出てゆくことくらいのものにございます。今日まで可愛がって頂きましたのに、何もご恩返しのできぬまま出てゆくのは心苦しうございますが」
泉水が消え入るような声で言うと、光照はやや強い語調で言った。
