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胡蝶の夢~私の最愛~⑪【夢路・ゆめじ】

第29章 岐路(みち)

 ならば、ゆこう。流されてゆく先がまたしても、あの男の許だというのであれば、今度こそ自分の身は自分で守ってみせる! 無力な女にも幾ばくかの誇りと意地があるのだと、その心意気を武器に闘ってやる。
 泉水は、改めてそう思った。
「折角ご指導頂きましたのに、そのご恩に報いることも、それを巷の人々に役立てることもできぬ不肖の弟子を、どうかお許し下さいませ」
 泉水が深々と頭を下げると、光照はゆるりと首を振った。
「私は本当に無力ですね。弟子の一人も救うことができないのに、何で悩める衆生を救うことなぞできるでしょうか」
 光照の声には深い悲嘆が込められていた。
「いいえ、私はこの御寺に来て、確かに救われました。庵主さまよりお教え頂きましたお教えの数々はすべて憶えておりまする。そのお言葉の一つ一つが私の血となり肉となり、今の私を作りました。多分、ここに来た五年前の私より、今の私は少しは強くなれたかもしれませぬ。ここに来るまでの私は、ただ我が身の不運を嘆き、逃れようとするだけの弱き臆病者にございました。そんな私が庵主さまや伊左久さんという方々とめぐり逢い、人の心の痛みを思いやること、宿命(さだめ)に立ち向かってゆく強さを知りました。私がいささかなりとも強くなり得たとすれば、それは、皆すべて庵主さまのお陰にございます」
 そう、光照や伊左久、夢五郎と出逢い、黎次郎を手放し、時橋を喪った。それらの出逢いと別れの一つ一つが、泉水を変え、成長させたのだ。
 江戸を出てからの五年間は、泉水が母となり、人の痛みを知ることを憶えた月日でもあった。もし今、三年前に時を戻せるなら、時橋を死なせずに済んだかもしれない。だが、今となっては、それももう詮無いことであるる。時橋は、泉水に自分の選んだ道をまっとうするようにと言い残したのだ。三年前は、その選んだ道というのは仏道のことだと思ったのだけれど、もしかしたら、時橋が言いたかったのは、もっと広い意味での道だったのかもしれない。
 人の生は枝分かれしては先へ続き、また更に枝分かれしては続いてゆく。人はその都度、悩み考え、己れの進むべき道を選び進んでゆく。時橋は泉水に言いたかったに違いない。
 たとえ、どのような道であろうと、泉水自らが選んだ道ならば、その道を迷わず躊躇わず進むようにと訴えたのかったのではないか。

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