テキストサイズ

胡蝶の夢~私の最愛~⑪【夢路・ゆめじ】

第31章 反旗

 何もかもが昔と同じだ。こうして泰雅を迎待ち、迎えるのも、何もかもがあの頃と同じなだけに、すべての記憶一つ一つがあの忌まわしき汚辱の夜を呼び覚ます。
 泉水は固く唇を噛みしめる。
「久方ぶりであったな」
 依然として顔を上げようとはせぬ泉水の頭上で泰雅の声が聞こえた。
「顔を見せよ」
 それでもなお、泉水は身じろぎもしない。泰雅の声にやや苛立ちが混じった。
「面を上げい」
 その声に促されるように、泉水がゆるゆると顔を上げる。その刹那、泰雅の顔をよぎったのは驚愕とも感嘆ともつかぬ感情であった。
「―随分と美しうなったな」
 五年の尼寺での浄らかな日々は、泉水の本来の美しさを十分に引き出していた。けして男に靡かぬ、媚びようとはせぬ凛とした美しさ、浄らかさは、さながら一輪の花のようである。そのくせ、蝶を惑わす大輪の花のごとき艶やかさ、匂いやかさが漂う美貌であった。
 その清楚かつ艶麗な美しさを、あだめいたお寝間姿が更に際立たせている。
「このときを待ちかねたぞ」
 泰雅が耐えかねたように泉水の華奢な手首を掴む。その時。
 泉水が白いほっそりとした手で泰雅の逞しい胸を軽く押した。
「殿に一つお願いがございます」
「何だ?」
 泰雅の端整な顔に一瞬、不機嫌な色が走る。
 が、流石にやっと手に入れた女との夜を台無しにはしたくなかったのか、言葉だけは優しく問うた。
「どうした、何か欲しい物でもあるのか?
 簪なり小袖なり、望む物があれば何なりと申すが良いぞ」
「いいえ、そのような物は欲しうはございませぬ。私が欲しいのは自由にございます」
 艶然と上目遣いに見上げるそのまなざしに、泰雅は情けなくも、くらりと美酒に酩酊した気分になる。
―この女は自分が仕草一つ、まなざし一つで俺を惑わし骨抜きにできることを意識しているのか、それとも、無意識の中にしておるのか。
 泰雅は咄嗟に考えた。以前の泉水であれば、むろん後者の方に違いはないのだが、この媚さえ含んだまなざしや男に甘えるような物言いは、けして依然の泉水にはなかったものだ。

ストーリーメニュー

TOPTOPへ