
胡蝶の夢~私の最愛~⑪【夢路・ゆめじ】
第31章 反旗
「なに、自由が欲しいとな」
泰雅は迂闊にも泉水の術中にはまった。
互いの息遣いさえ聞こえてきそうなほど近くから、何の香であろうか、かぐわしい香りが漂う。泉水の寝衣に焚きしめられた香に違いないが、その香りがあたかも泉水の身体そのものから発するもののように思えてしまう。
早く、一刻も早くあのやわらかな身体を抱きしめ、あの得も言われぬ香りの中に溺れたい。泰雅の心は逸る。
なおも手を伸ばして引き寄せようとする泰雅から、泉水はあっさりと身をかわす。
「私が現在、こちらのお屋敷にいるのは他ならぬ私の意思にございます。さりながら、私は一度、俗世を捨てた身、たとえ上辺だけは現世の者に戻ろうと、私が尼であることに何ら変わりはございませぬ」
泉水の口調がガラリと変わった。そのことに、泰雅はやっと気付いたようだ。
「そなた、何が言いたい?」
泰雅が怒気を孕んだ口調で問うと、泉水は婉然と微笑む。この反応にも泰雅は戸惑いを隠せない。以前の泉水なら、泰雅が少しでも不機嫌になれば、ましてや怒れば、身をすくませ怯えていたのだ。
だが、今の彼女はどうだろう。まるで別人のように堂々として顔色を変えるどころか眉一つ動かさない。
動揺の色は微塵もない。
「お判りになられませぬか? 私が申し上げたいのは、たとえ私がこのお屋敷にいようとも、尼であることには変わりなきゆえ、今後は一切お相手はできないと―、そのように申し上げているのでございます」
「先ほどの自由というのは、そのような意味なのか」
「さようにございます。この身は榊原のお殿さまの囚われ人、そのことは心得てはおりますれど、その上で屋敷内ではいかに過ごそうと私の勝手であるとお認め頂きたいのです」
泉水は真っすぐに泰雅を見据えた。
その強い視線に、泰雅は刹那、たじろぐ。「馬鹿な、そのような言い分が通るはずもなきことは、そなたも判っておろう」
泰雅は咄嗟に体勢を立て直し、負けじと泉水を睨みつけた。
泉水は泰雅のそんな態度にいささかも臆する風もない。背筋を伸ばして座り、強いまなざしを泰雅に向けていた。
「もし、殿があくまでも私に指一本でも触れようとなさるのであれば、私は今ここで、舌を噛み切って果てまする」
泰雅は迂闊にも泉水の術中にはまった。
互いの息遣いさえ聞こえてきそうなほど近くから、何の香であろうか、かぐわしい香りが漂う。泉水の寝衣に焚きしめられた香に違いないが、その香りがあたかも泉水の身体そのものから発するもののように思えてしまう。
早く、一刻も早くあのやわらかな身体を抱きしめ、あの得も言われぬ香りの中に溺れたい。泰雅の心は逸る。
なおも手を伸ばして引き寄せようとする泰雅から、泉水はあっさりと身をかわす。
「私が現在、こちらのお屋敷にいるのは他ならぬ私の意思にございます。さりながら、私は一度、俗世を捨てた身、たとえ上辺だけは現世の者に戻ろうと、私が尼であることに何ら変わりはございませぬ」
泉水の口調がガラリと変わった。そのことに、泰雅はやっと気付いたようだ。
「そなた、何が言いたい?」
泰雅が怒気を孕んだ口調で問うと、泉水は婉然と微笑む。この反応にも泰雅は戸惑いを隠せない。以前の泉水なら、泰雅が少しでも不機嫌になれば、ましてや怒れば、身をすくませ怯えていたのだ。
だが、今の彼女はどうだろう。まるで別人のように堂々として顔色を変えるどころか眉一つ動かさない。
動揺の色は微塵もない。
「お判りになられませぬか? 私が申し上げたいのは、たとえ私がこのお屋敷にいようとも、尼であることには変わりなきゆえ、今後は一切お相手はできないと―、そのように申し上げているのでございます」
「先ほどの自由というのは、そのような意味なのか」
「さようにございます。この身は榊原のお殿さまの囚われ人、そのことは心得てはおりますれど、その上で屋敷内ではいかに過ごそうと私の勝手であるとお認め頂きたいのです」
泉水は真っすぐに泰雅を見据えた。
その強い視線に、泰雅は刹那、たじろぐ。「馬鹿な、そのような言い分が通るはずもなきことは、そなたも判っておろう」
泰雅は咄嗟に体勢を立て直し、負けじと泉水を睨みつけた。
泉水は泰雅のそんな態度にいささかも臆する風もない。背筋を伸ばして座り、強いまなざしを泰雅に向けていた。
「もし、殿があくまでも私に指一本でも触れようとなさるのであれば、私は今ここで、舌を噛み切って果てまする」
