
胡蝶の夢~私の最愛~⑪【夢路・ゆめじ】
第31章 反旗
それでもなお、虚無感の中に烈しく燃え盛る恋慕の想いがある。泉水がかいま見せた氷のような美貌―その冷えたまなざしすら、図らずも泰雅を今また新たに魅了したのである。無垢な少女から今、氷の華とも呼ぶべき臈長けた女へと見事に生まれ変わった泉水から、泰雅はますます眼が離せなくなった。
これほどまでに頑なに拒絶され、嫌われながら、自分がまだ泉水に未練を抱いていることを知り、泰雅は茫然とする。
行灯の火がジと嫌な音を立てて、燃え尽きた。ふいに室内が闇一色に塗り込められる。
月が雲に隠れたのか、月明かりさえ差し込んでこない。
尽きることのない女への恋情を自分で持て余しながら、泰雅は物の文(あや)目(め)さえ判らぬほどの闇を虚ろな眼で見つめていた。彼の眼はまるで彼の周囲を取り巻く闇をそのまま映したように昏(くら)い。虚空を見据えるその横顔に光るものは涙であったろうか。
寝所を出た泉水は、一人廊下に佇んでいた。今宵の宿直(とのい)は河嶋と若い腰元が当たっていた。奥向きを取り締まる上﨟の河嶋自らが主君の閨の不寝番を務めるのは前例のないことではあったけれど、これは河嶋が言い出したことであった。
泉水が今宵、泰雅の閨に召される経緯を誰よりもよく知る者だけに、何か起こらぬかと河嶋なりに案じていたのだ。泉水が自害するか、或いは、泉水が泰雅を殺害した上で自分も後を追うか―。何事も起こらねば良いがと祈るような気持ちで、泰雅が泉水と過ごす寝所からひと間隔てた部屋に控えていた。
果たして、泰雅が寝所に入ってから半刻ばかりが経った頃、泉水が一人で出てきた。夫婦が褥を共にする寝所は、侍女が詰める控えの間より更にひと部屋(泉水の居間)を隔てた先である。
愕く河嶋に、泉水は眩しいような笑みを向けた。
「今後、殿より夜伽は不要と仰せつかりました」
が、泉水の艶やかな笑顔を真正面から見た河嶋は言葉を失った。
―これが、あのまだどこか子ども子どもしたところがおありだった奥方さまであろうか。
これほどまでに頑なに拒絶され、嫌われながら、自分がまだ泉水に未練を抱いていることを知り、泰雅は茫然とする。
行灯の火がジと嫌な音を立てて、燃え尽きた。ふいに室内が闇一色に塗り込められる。
月が雲に隠れたのか、月明かりさえ差し込んでこない。
尽きることのない女への恋情を自分で持て余しながら、泰雅は物の文(あや)目(め)さえ判らぬほどの闇を虚ろな眼で見つめていた。彼の眼はまるで彼の周囲を取り巻く闇をそのまま映したように昏(くら)い。虚空を見据えるその横顔に光るものは涙であったろうか。
寝所を出た泉水は、一人廊下に佇んでいた。今宵の宿直(とのい)は河嶋と若い腰元が当たっていた。奥向きを取り締まる上﨟の河嶋自らが主君の閨の不寝番を務めるのは前例のないことではあったけれど、これは河嶋が言い出したことであった。
泉水が今宵、泰雅の閨に召される経緯を誰よりもよく知る者だけに、何か起こらぬかと河嶋なりに案じていたのだ。泉水が自害するか、或いは、泉水が泰雅を殺害した上で自分も後を追うか―。何事も起こらねば良いがと祈るような気持ちで、泰雅が泉水と過ごす寝所からひと間隔てた部屋に控えていた。
果たして、泰雅が寝所に入ってから半刻ばかりが経った頃、泉水が一人で出てきた。夫婦が褥を共にする寝所は、侍女が詰める控えの間より更にひと部屋(泉水の居間)を隔てた先である。
愕く河嶋に、泉水は眩しいような笑みを向けた。
「今後、殿より夜伽は不要と仰せつかりました」
が、泉水の艶やかな笑顔を真正面から見た河嶋は言葉を失った。
―これが、あのまだどこか子ども子どもしたところがおありだった奥方さまであろうか。
