テキストサイズ

胡蝶の夢~私の最愛~⑪【夢路・ゆめじ】

第31章 反旗

 先導するのは老女の河嶋、その後を若い腰元が雪洞を手に捧げ持ち、泉水の足許を照らす。更に泉水の背後を固めるように二人の腰元が付き従った。
 寝所の前で河嶋が止まる。
「失礼致しまする」
 と頭を下げ、寝衣の上から軽く泉水の身体に触れ、しまいに髪にも触れる。これは当主と二人きりになる寝室で女が万が一、刃物などを持ち出さぬとも限らぬための用心であった。頭髪を確かめるのは、簪や笄が武器になり得ることを考慮してであった。これまで河嶋は正室である泉水に遠慮して、この身体検査をすることはなく過ぎていたのだが、流石にここ最近の泉水の動向を警戒しているらしい。
「お鎮まりなされませ」
 河嶋は泉水の帯に手を添えて形を整え、そっと耳許で囁いた。その短いひと言は河嶋にとっては精一杯の激励であり、牽制でもあったろう。
 寝所の前で、泉水のたおやかな歩みがふっと止まる。その愁いを含んだ視線が躊躇いを見せるように彷徨う。
 生まれたばかりの新月が中天に掛かっている。幾千もの星々を照らすように淡い光を投げかけていた。
 その背を河嶋は軽く押した。
「奥方さまがお渡りになられましてございます」
 中にいるはずの泰雅に声をかける。
 両側から腰元が障子を開け、泉水は河嶋に押し入れられるようにして寝所に入った。
 刹那、泉水が背後を振り返ったときには、既に障子は固く閉ざされていた。泉水はその場に座り、両手をつき頭を下げた。
「どうした、先日は随分と威勢が良かったが、今宵は元気がないぞ」
 揶揄するような言葉が降ってくる。だが、昔とは違い、その口調にはどこか険がある。
 まるで泉水を嘲笑うかのようだ。
「この辺でつまらぬ意地の張り合いは止めて、互いに素直にならぬか、ん?」
 泰雅の声が近付いてくる。
「それとも、怖うて俺の貌がまともに見られぬとでも?」
 どこか挑発するような口調に、泉水は顔を上げる。
「私は何も怖がってなどおりませぬ」
 きりっとしたまなざしを向けて言い切ったが、泰雅は薄笑いを浮かべていた。

ストーリーメニュー

TOPTOPへ