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胡蝶の夢~私の最愛~⑪【夢路・ゆめじ】

第31章 反旗

「さあ、それがどこまで真のことか。見よ、そちは震えておるではないか」
 泉水は唇を噛みしめた。泰雅には、やはり何もかも見抜かれている。十日前に泰雅との闘いはあれで終わったと高を括っていた泉水は、まさか再び夜のお召しがあるとは考えてもいなかった。
 不意打ちを食らった形で、内心の動揺と怯えは隠せない。泰雅に怯えた様を見せてはならぬと懸命に平気なふりを装っていても、恐怖がひたひたと押し寄せ、ともすれば身体が震えそうになってしまう。
 今、泉水は武器も何も持ってはいない。時橋の形見の懐剣も今夜は居室に置いたままだ。そんな無防備な状態で泰雅と寝所に二人きり、力尽くで襲いかかってこられたら、泉水は容易く組み敷かれてしまうだろう。そうなれば、この男の思う壺である。またしても、男の好きなように弄ばれ、辱められる。
 もう二度と、あんな想いだけはしたくない。
 以前のように一晩中責め苛まれることを想像しだけで、絶望のあまり泣き出したくなった。
「精一杯強がって見せても、ほれ、このように震えておる。泉水はやはり、可愛いのう」
 泰雅が嗤う。突如、強い力で抱き寄せられ、泉水は身を固くした。
「俺は泉水、そなたでなければならんのだ。そなた以外に抱きたい女はおらぬ。そなたさえ側に居てくれれば良いのだ」
 かつてこの広い胸に顔を伏せた時、泉水はどれだけ安堵し、癒やされたか知れない。まるで親鳥の翼に包み込まれた雛鳥のように、泰雅に守られていると実感できたものだった。
 あの日々が今はただ愛おしく、懐かしい。
 だが、戻りたいとは思わなかった。
 男に強い力で抱きしめられながらも、泉水の心は醒めている。あの日々は、泉水にも泰雅にも遠くなってしまった。今、この瞬間、こんなに近くに居て、互いの膚が触れ合うほどの距離にいても、二人の心が重なり合うことはない。恐らく、この先も二度とないだろう。
 泉水は泰雅の口調に、ふと違和感を憶えた。
「殿」
 少し力を込めて押しただけで、泰雅の身体は呆気なく離れた。それは泰雅が手加減をしたというよりは、泰雅自身に女の力を封じ込めるだけの碗力がないように思われた。
「殿、どこか―お身体が悪いのでございますか」

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