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胡蝶の夢~私の最愛~⑪【夢路・ゆめじ】

第31章 反旗

 と、泰雅が突如として笑い出した。
 何がおかしいのか、笑い声は次第に高くなり、しんとした閨の中に虚ろに響いてゆく。洞(ほら)のような双眸で中空を睨み据え、一人で高笑いするその様は到底普通ではない。
 その狂気を宿した横顔を、泉水は茫然と見つめるしかなかった。
「随分と俺も見くびられたものだ。何か、そなたは獣に餌を与えるがごとく、俺にその身体を差し出すと申すのか」
 吐き捨てるような言葉に、泉水は首を振る。
「そのようなつもりは毛頭ございませぬ。ただ、私は一人の人間として、殿の今のご様子を見過ごしにはできぬと思うたまでにございます」
「それは、ますます聞き捨てならぬな。そなたは哀れみで俺に抱かれると申すか。俺を哀れんで、その身体を差し出すか」
 どこか自嘲めいた口調に、泉水は何も言わず、寝衣の帯を解いた。衣擦れの音がなまめかしく閨の内に響く。寝衣をそっとすべらせると、胸乳までは見えないが、白いなめらかな肩があらわになる。
 挑むような眼で睨みつける。
 気まずい沈黙が落ち、二人はしばしそのままの体勢で対峙した。
 ややあって、泰雅が鼻白んだ表情になった。
「もう良いわ!」
 烈しい怒声が飛んだ。
 泰雅は寝所を出てゆこうとして、その間際、振り返りもせず言った。
「そなた、変わったな。―強くなった」
 その時、確かに泰雅は泉水の姿に、強くなった女のしたたかさを見ていたのだ。それは十日ほど前にもこの女が束の間見せた強靱さでもあった。
 この五年で確かに泉水は変わった。泰雅が泉水を想い、鬱々と酒に溺れた日々を過ごしていた間に、泉水は一人で逞しく生き抜き、誰からも何ものからも束縛されることない自由な魂を勝ち取ったのだ。
 寝所から去ってゆく泰雅は、惨めな敗北感に打ちのめされていた。
 泰雅が出ていった後、泉水の口からは大きな吐息が洩れた。まるで身体中の力が一挙に抜けて、空気のない紙風船のようになってしまったようだ。
 あれは確かに一つの賭けだった。
―たとえこの身体は投げだしたとしても、それは所詮、魂のなき抜け殻、空の器のごときもの。そのようなものでよろしければ、お好きなようにご存分になされませ!

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