胡蝶の夢~私の最愛~⑪【夢路・ゆめじ】
第1章 《槇野のお転婆姫》
父はそう言った。だが、泉水は是が非でも嫁ぐのだと言い張った。深雪にとっても、その所生の虎松丸にとっても、泉水の存在はひたすら鬱陶しいものになるだけだろう。たとえ腹違いではあっても、虎松丸は泉水の弟であった。
泉水さえいなければ、虎松丸は誰はばかることなしに槇野家の世嗣の座につける。泉水は虎松丸の将来の障りにはなりたくはなかった。古参の老臣や重臣たちの中には、脇腹の虎松丸ではなく、正室腹の泉水に槇野家の跡目をと望む者もまだ多かった。このままでは、槇野家家中は、泉水を推す一派と、虎松丸を推す一派と二分され、まかり間違えば、お家騒動にまでなりかねない。
嫁ぐことに決めたのだと一途に言い募る娘に、源太夫はため息をついた。可愛らしげな外見に似合わぬ頑固な娘なのだ。年ごろになっても屋敷の奥深くで琴や鼓をを相手にしているよりは、庭で樹登りをしている方が相に合っているというほどの姫である。せめて綺麗に装いしとやかにでもしていれば良いものを、艶やかな髪を束ね、赤い小袖に紫の袴をまとい、庭で木刀を振り回しているから、物の怪憑きの上に“お転婆姫”なぞと迷惑な呼び名を奉られる羽目になる。
娘がひとたび言い出したら、梃子でも後に引かぬのを知る源太夫は、やむなくこの縁組を進めることにあいなった。上さま直々のお声かがりとはいえ、源太夫はこの縁組に一抹の危惧を抱いていないわけではなかった。けして手放して歓んでいただけではないのだ。
源太夫の耳にも娘婿となる榊原泰雅についてのとかくの噂は耳に入っていたからだ。
母親を早くに失った分、源太夫は一人娘に愛情を注いできたつもりだ。娘には幸せになって欲しいと願っている。女好きと評判になるほどゆえ、歌舞伎役者も色あせるという男ぶりだというのは本物だろう、だが、源太夫が娘婿に求めるのは見かけなどではない、大切な娘を一生涯かけて大切に守りぬき、けして泣かせたりはせぬ誠実な男であった。
いくら男前で上さまのお血筋につながり、切れ者と評判との男でも、泰雅は泉水の良人には相応しからぬような気がする。泉水は真っすぐな心根の裏表のない娘だ。日がな女の尻を追いかけまわしているような浅薄な男と到底うまくゆくとは思えない―。
それでも、源太夫は娘のこの結婚を祝福し、叶う限りの支度を整えて送り出してやった。
泉水さえいなければ、虎松丸は誰はばかることなしに槇野家の世嗣の座につける。泉水は虎松丸の将来の障りにはなりたくはなかった。古参の老臣や重臣たちの中には、脇腹の虎松丸ではなく、正室腹の泉水に槇野家の跡目をと望む者もまだ多かった。このままでは、槇野家家中は、泉水を推す一派と、虎松丸を推す一派と二分され、まかり間違えば、お家騒動にまでなりかねない。
嫁ぐことに決めたのだと一途に言い募る娘に、源太夫はため息をついた。可愛らしげな外見に似合わぬ頑固な娘なのだ。年ごろになっても屋敷の奥深くで琴や鼓をを相手にしているよりは、庭で樹登りをしている方が相に合っているというほどの姫である。せめて綺麗に装いしとやかにでもしていれば良いものを、艶やかな髪を束ね、赤い小袖に紫の袴をまとい、庭で木刀を振り回しているから、物の怪憑きの上に“お転婆姫”なぞと迷惑な呼び名を奉られる羽目になる。
娘がひとたび言い出したら、梃子でも後に引かぬのを知る源太夫は、やむなくこの縁組を進めることにあいなった。上さま直々のお声かがりとはいえ、源太夫はこの縁組に一抹の危惧を抱いていないわけではなかった。けして手放して歓んでいただけではないのだ。
源太夫の耳にも娘婿となる榊原泰雅についてのとかくの噂は耳に入っていたからだ。
母親を早くに失った分、源太夫は一人娘に愛情を注いできたつもりだ。娘には幸せになって欲しいと願っている。女好きと評判になるほどゆえ、歌舞伎役者も色あせるという男ぶりだというのは本物だろう、だが、源太夫が娘婿に求めるのは見かけなどではない、大切な娘を一生涯かけて大切に守りぬき、けして泣かせたりはせぬ誠実な男であった。
いくら男前で上さまのお血筋につながり、切れ者と評判との男でも、泰雅は泉水の良人には相応しからぬような気がする。泉水は真っすぐな心根の裏表のない娘だ。日がな女の尻を追いかけまわしているような浅薄な男と到底うまくゆくとは思えない―。
それでも、源太夫は娘のこの結婚を祝福し、叶う限りの支度を整えて送り出してやった。