
胡蝶の夢~私の最愛~⑪【夢路・ゆめじ】
第4章 《新たな始まり》
「埒もなき噂のことならば、お方さまがお心におかけになるようなごとではございませぬ。きっと殿には何か深いご事情がおありになるのでございしまょう。このようなときこそ、女子はご夫君をご信頼申し上げ、心強く持ってお待ち申し上げねばならぬもの。それが妻たる女の務めにございます。一々つまらぬ流言飛語に惑わされるほど愚かなことはございますまい」
時橋の言葉に、泉水は弱々しく笑った。
「そのようなものは所詮は建前じゃ。どこの世に良人が夜な夜な出かけてゆくというのに、平気な妻がいるものか。しかも今夜の殿を見るがよい。突如として呼び出しが来たかと思うたら、顔色変えて飛んで出てゆかれた。これがただ事だと思えるはずもなかろう、時橋」
「ですから、よくよくのご事情がおありなのでは」
時橋がそれでも取りなそうとすると、泉水は苦笑いを刻んだ。
「その事情とやらは、確かに殿にとりては“よくよくのご事情”なのやもしれぬな。私が先ほど、お出かけにならるる際に何事かとお訊ね致したら、怖いお顔で睨まれてしもうた。あのようなお顔をなさるお方ではなかったと思うたが、あのご様子を拝見するに、やはり、そなたの申すようによほどのことがおありなのであろう、この私には絶対に知られてはならぬ特別の事情とやらがな」
「お方さま、殿の御事をそのように仰せあそばされるのは」
なおもたしなめようとする時橋の言葉を泉水は遮った。
「もう良い。私は眠るゆえ、そなたももう寝むが良い」
そう言って続きの間になった寝室へと消える。一人になると、どっと疲れが押し寄せてきたが、不思議なことに、疲れているのに頭の芯は冴えていて、眠れそうにもない。
覚悟していたはずだった。いつかは泰雅に飽きられ、捨てられるのだと心のどこかでいつも不安に怯えていた。まさか、こうまでその日が早く訪れるとは流石に考えてはいなかったが。泰雅と初めて結ばれてから、まだふた月と経ってはないのだ。泰雅と二人、咲き誇る芍薬の花を眺めながら、このひとと生きてゆくのだと惚れた男の傍にいられる幸せを噛みしめたのは四月の末のことだった―。
泉水は低声で呟いてみた。
「今までと同じなだけじゃない」
時橋の言葉に、泉水は弱々しく笑った。
「そのようなものは所詮は建前じゃ。どこの世に良人が夜な夜な出かけてゆくというのに、平気な妻がいるものか。しかも今夜の殿を見るがよい。突如として呼び出しが来たかと思うたら、顔色変えて飛んで出てゆかれた。これがただ事だと思えるはずもなかろう、時橋」
「ですから、よくよくのご事情がおありなのでは」
時橋がそれでも取りなそうとすると、泉水は苦笑いを刻んだ。
「その事情とやらは、確かに殿にとりては“よくよくのご事情”なのやもしれぬな。私が先ほど、お出かけにならるる際に何事かとお訊ね致したら、怖いお顔で睨まれてしもうた。あのようなお顔をなさるお方ではなかったと思うたが、あのご様子を拝見するに、やはり、そなたの申すようによほどのことがおありなのであろう、この私には絶対に知られてはならぬ特別の事情とやらがな」
「お方さま、殿の御事をそのように仰せあそばされるのは」
なおもたしなめようとする時橋の言葉を泉水は遮った。
「もう良い。私は眠るゆえ、そなたももう寝むが良い」
そう言って続きの間になった寝室へと消える。一人になると、どっと疲れが押し寄せてきたが、不思議なことに、疲れているのに頭の芯は冴えていて、眠れそうにもない。
覚悟していたはずだった。いつかは泰雅に飽きられ、捨てられるのだと心のどこかでいつも不安に怯えていた。まさか、こうまでその日が早く訪れるとは流石に考えてはいなかったが。泰雅と初めて結ばれてから、まだふた月と経ってはないのだ。泰雅と二人、咲き誇る芍薬の花を眺めながら、このひとと生きてゆくのだと惚れた男の傍にいられる幸せを噛みしめたのは四月の末のことだった―。
泉水は低声で呟いてみた。
「今までと同じなだけじゃない」
