
胡蝶の夢~私の最愛~⑪【夢路・ゆめじ】
第33章 儚い恋
「よっく判らねえ。申し訳ないが、俺は姫さんの旦那のように女を歓ばせる甘い科白には、からきし慣れてねえんだ」
そこで、兵庫之助はハッとした表情になった。視線と視線が宙で絡み合った。泉水は兵庫之助の顔をまともに見ていられなくて、視線を逸らす。
気まずい沈黙が落ちた。
「ごめんなさい。私、家を出てきたんです」
うつむいたまま言うと、兵庫之助は、しばらく黙っていた。恐る恐る顔を上げると、兵庫之助は川を見つめている。何を考えているのか、思慮深げな横顔は、到底、先刻までの彼とは別人のようであった。
その時、泉水は漸く気付いた。兵庫之助は、沈んでいる泉水の気を引き立てようと、わざと軽口を言っていたのだ。
いつしか陽は完全に姿を隠し、代わって十六夜の月が出ている。厚い雲ではないが、すじ状の薄い雲が夜空に無数にたなびいている。風があるのか、雲はかなりの速さで流れている。その度に、月は雲間に見え隠れてしていた。
濃い闇を映した川面は、今の泉水の心のようだ。
ふいに、兵庫之助がプッと吹き出した。
その場には到底不似合いな反応に、泉水は眼を見開く。
兵庫之助は笑いながら、泉水を見ていた。
「全っく、本当に変わってねえな。姫さん。確か六年前にここでばったり出逢ったときも、姫さんは同じことを言ったぜ」
その言葉に、改めてあの夜を思い出す。
泰雅に隠し女と隠し子がいる―との噂が立ち、泉水はそれを気にして屋敷を飛び出したのである。屋敷を出て、どこにも行く当てがなくて、ここで川面を眺めていたら、兵庫之助が声をかけてきたのだ。
「だからと言って、何もお前さんが俺に謝る筋合いはねえだろう。それよりも、何でお前さんがまた家を飛び出す羽目になっちまったんだ」
直截に問われ、泉水は唇を噛む。
いかに相手が兵庫之助だとて、すべての事情を打ち明けられるものではない。うなだれた泉水を、兵庫之助は静かに見つめた。
「マ、その話はおいおい聞かせてくれりゃア良い。な、俺のところに来ないか?」
唐突な言葉であった。
「でも、そのようなことをすれば、兵庫之助さまにご迷惑がかかります」
泉水が言うと、兵庫之助は笑って首を振る。
そこで、兵庫之助はハッとした表情になった。視線と視線が宙で絡み合った。泉水は兵庫之助の顔をまともに見ていられなくて、視線を逸らす。
気まずい沈黙が落ちた。
「ごめんなさい。私、家を出てきたんです」
うつむいたまま言うと、兵庫之助は、しばらく黙っていた。恐る恐る顔を上げると、兵庫之助は川を見つめている。何を考えているのか、思慮深げな横顔は、到底、先刻までの彼とは別人のようであった。
その時、泉水は漸く気付いた。兵庫之助は、沈んでいる泉水の気を引き立てようと、わざと軽口を言っていたのだ。
いつしか陽は完全に姿を隠し、代わって十六夜の月が出ている。厚い雲ではないが、すじ状の薄い雲が夜空に無数にたなびいている。風があるのか、雲はかなりの速さで流れている。その度に、月は雲間に見え隠れてしていた。
濃い闇を映した川面は、今の泉水の心のようだ。
ふいに、兵庫之助がプッと吹き出した。
その場には到底不似合いな反応に、泉水は眼を見開く。
兵庫之助は笑いながら、泉水を見ていた。
「全っく、本当に変わってねえな。姫さん。確か六年前にここでばったり出逢ったときも、姫さんは同じことを言ったぜ」
その言葉に、改めてあの夜を思い出す。
泰雅に隠し女と隠し子がいる―との噂が立ち、泉水はそれを気にして屋敷を飛び出したのである。屋敷を出て、どこにも行く当てがなくて、ここで川面を眺めていたら、兵庫之助が声をかけてきたのだ。
「だからと言って、何もお前さんが俺に謝る筋合いはねえだろう。それよりも、何でお前さんがまた家を飛び出す羽目になっちまったんだ」
直截に問われ、泉水は唇を噛む。
いかに相手が兵庫之助だとて、すべての事情を打ち明けられるものではない。うなだれた泉水を、兵庫之助は静かに見つめた。
「マ、その話はおいおい聞かせてくれりゃア良い。な、俺のところに来ないか?」
唐突な言葉であった。
「でも、そのようなことをすれば、兵庫之助さまにご迷惑がかかります」
泉水が言うと、兵庫之助は笑って首を振る。
