
胡蝶の夢~私の最愛~⑪【夢路・ゆめじ】
第34章 涙
「仏さんが事切れてもまだ、握りしめてましたよ。相当の思い入れがあったんだろうって、八丁堀の旦那とも話してたんですがね」
勘七は丁重な手つきで小さな守袋を泉水に返してよこした。
それは、近くの小さな稲荷社に詣でて貰ってきたものだった。浅葱色の地に、この稲荷社の社紋である丸に桔梗の柄が織り出されている。
普段は神主もいないそこは、神社というよりは祠と言った方がふさわしい。申し訳程度の敷地に小さな御堂がひっそりと佇んでいるだけで、捨て子がよくそこに捨てられていることから付近では〝捨て子稲荷〟と呼ばれている。実際に、この長屋でも子のおらぬ夫婦がそこに捨てられていた赤子を拾って育てている例もあった。
たまに神主が来て、賽銭を回収し、新しいお札や守袋を置いてゆく。詣でた者も定められた銭を賽銭箱に落とし、お守りやお札を持ち帰るといった案配であった。
―何故、兵庫之助さまがこんなことに。
泉水は良人が最後まで握りしめて放さなかったという守袋を頬に押し当て、号泣した。
信じられない。こうして実際に変わり果てた兵庫之助を見ていても、悪い夢を見ているのだとしか思えなかった。布団に横たわっている兵庫之助は、ただ眠っているだけのようにも見える。しかし、眼に見えぬ部分、着物の下に無数の幾つもの疵を負っている。その中には一瞬で刺し貫かれた心臓の疵もある。下手人は卑怯にも後ろから襲いかかり、兵庫之助の心臓をひと突きにしたのだ。
―許さぬ。誰がそのように酷いことをしたのか。
泉水は兵庫之助を突如として襲った理不尽な犯人を心から憎んだ。生きながら心ノ臓に刃を突き立てられる―、岡っ引きの勘七は苦悶はなかっただろうと語ったけれど、泉水はそのときの兵庫之助の愕きと痛みを想像しだたけで、自分もまた心に刃を突き立てられたような想いになった。
―許さぬ、けして私は許さぬ。兵庫之助さまをあのように酷い殺し様をした奴を必ず私が殺してやる。
泉水の心に言いしれぬ怒りと絶望が渦巻いていた。泉水はいざるようにして良人の傍にゆき、その蒼白い血の気のない頬を撫でた。
勘七は丁重な手つきで小さな守袋を泉水に返してよこした。
それは、近くの小さな稲荷社に詣でて貰ってきたものだった。浅葱色の地に、この稲荷社の社紋である丸に桔梗の柄が織り出されている。
普段は神主もいないそこは、神社というよりは祠と言った方がふさわしい。申し訳程度の敷地に小さな御堂がひっそりと佇んでいるだけで、捨て子がよくそこに捨てられていることから付近では〝捨て子稲荷〟と呼ばれている。実際に、この長屋でも子のおらぬ夫婦がそこに捨てられていた赤子を拾って育てている例もあった。
たまに神主が来て、賽銭を回収し、新しいお札や守袋を置いてゆく。詣でた者も定められた銭を賽銭箱に落とし、お守りやお札を持ち帰るといった案配であった。
―何故、兵庫之助さまがこんなことに。
泉水は良人が最後まで握りしめて放さなかったという守袋を頬に押し当て、号泣した。
信じられない。こうして実際に変わり果てた兵庫之助を見ていても、悪い夢を見ているのだとしか思えなかった。布団に横たわっている兵庫之助は、ただ眠っているだけのようにも見える。しかし、眼に見えぬ部分、着物の下に無数の幾つもの疵を負っている。その中には一瞬で刺し貫かれた心臓の疵もある。下手人は卑怯にも後ろから襲いかかり、兵庫之助の心臓をひと突きにしたのだ。
―許さぬ。誰がそのように酷いことをしたのか。
泉水は兵庫之助を突如として襲った理不尽な犯人を心から憎んだ。生きながら心ノ臓に刃を突き立てられる―、岡っ引きの勘七は苦悶はなかっただろうと語ったけれど、泉水はそのときの兵庫之助の愕きと痛みを想像しだたけで、自分もまた心に刃を突き立てられたような想いになった。
―許さぬ、けして私は許さぬ。兵庫之助さまをあのように酷い殺し様をした奴を必ず私が殺してやる。
泉水の心に言いしれぬ怒りと絶望が渦巻いていた。泉水はいざるようにして良人の傍にゆき、その蒼白い血の気のない頬を撫でた。
