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胡蝶の夢~私の最愛~⑪【夢路・ゆめじ】

第35章 哀しみの果て

 浅葱色の地に桔梗が描き出された小さな守袋は、泉水が兵庫之助に贈ったものだ。兵庫之助は事切れてもなお、その守袋を離さず握りしめていたという。泉水はそれを形見として、いつも肌身離さず持ち歩いていた。中には稲荷社のお札と兵庫之助の遺髪が少し入っている。
 泰雅と褥を共にする夜でさえ、泉水は夜着の中にそれを離すことはない。泰雅に夜着を脱がされる前に、そっと素早く褥の下に隠しておくのだ。泉水はいつも泰雅よりは早く寝所に入り、泰雅を迎えるのを待つゆえ、誰にも見とがめられることもなく守袋を隠せるのだ。
 守袋を愛おしげに頬に押し当てたその時、泉水は改めて蒼い蝶が消えていることに気付いた。
―蝶が消えた?
 更に、今、自分が佇む場所が、かつて若い腰元が身を投げて死んだという例の池の前だと知った。刹那、泉水の背筋をゾワリと冷たいものが走った。
 そういえば、五ヶ月前にもこれと似たようなことがあった。やはり、泰雅が泉水の寝所を訪れた夜だった。あの夜は、結局膚を合わせることなく、泉水は泰雅を拒み通したけれど、泉水は一人、寝所を出て廊下に逃れた。
 あの夜も蒼い不思議な蝶が現れ、泉水を導くように眼前を飛んだ。そして、その時、蝶が出現したのもこの場所―奥女中が入水して果てたといういわくのある池の前であった。
「兵庫之助さまが私をお守り下さったのですね」
 泉水は改めてそう思う。流石に幽霊や呪いなどがこの世に存在すると信じるほど迷信深くはないけれど、この池と不思議な蝶は何らかの因縁があるのかもしれない。
 あの蝶はやはり、現ならぬ世界のもの、この世のものではないのだろう。
 昔、無念の死を遂げたという若い女の魂がもしかしたら、美しい蝶となり、こうやって時折姿を現しているのかもしれない。この世に怨念を残すあまり、蝶となった女の魂が何の罪も拘わりもなき娘たちを冥界へと誘っているとは思いたくはない。しかし蝶のあまりの美しさに魅入られた者が思わず池の方へと脚を踏み出し、誤って落ちてしまうことはあるだろう。

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