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胡蝶の夢~私の最愛~⑪【夢路・ゆめじ】

第36章 臥待月(ふしまちづきの)夜

 泰雅に身を任せたこと、更に悦びを感じてしまったことについては、言い訳のしようもない。身を任せたことは欺き通すためとでも言い訳はできようが、後者については、ひと言もない。しかも、指摘されたとおり、泰雅の腕の中で淫らな声を上げ、身をくねらせていたのは紛れもない事実だ。―認めたくはないけれど、哀しい現実であった。
 容赦のない言葉でその現実を指摘され、泉水はあまりの屈辱に居たたまれなかった。
 涙が溢れ、零れそうになる。
 そんな泉水を、泰雅は冷たい眼で見下ろしている。
 しかし、泉水にはそれはそれとして、どうしても訊ねたいことがあった。
「何故、兵庫之助さまをお斬りになられました? しかも背後から闇討ちにするという一番卑怯なやり方で」
「あやつは俺の女を寝取った。それだけで十分な理由になろう」
 事もなげに言い切る泰雅に、泉水は声高に言った。
「兵庫之助さまは何も拘わりはなかったのです。すべては、私のせいでした。私が勝手にこの屋敷を出て、あの方の許へと走ったのです。あの方を恨むのは筋違いというものです」「愚かな。―まだ申すか。あの男とそちが夫婦だなぞとたわけたことを幾ら申し立てたとて、世間は認めぬわ。有り体に言えば、秋月は俺の女房を寝取った。姦通、不義密通がどのような重い罪か、そちだとて存じておろう。俺は妻を奪われた良人として、当然のことをしたまで。誰にとやかく言われる筋合いはない」
 泰雅の言い分は道理ではあった。当時、不義密通は最も重い罪であった。公儀も姦夫・姦婦は見つかり次第、捕らえ晒した上で獄門と定めている。世間的に言えば、秋月兵庫之は泰雅の妻である泉水と夫婦同然に暮らしていたのだ。たとえ二人がまだ肉体的には結ばれていなかったのだと主張したとしても、どのような言い訳も申し開きも通じるはずもない。
 だが、それにしても、背後から不意打ちにして斬り殺す、しかも心臓をひと突きにして殺した後もなお、滅多切りにする必要はなかったはずだ。妻を奪われたことを恥辱とするならば、むしろ、正々堂々と真っ向から勝負を挑んでも良かった―いや、むしろ、そうすべきであったろう。
 泉水には、そこが許せなかったのだ。

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