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胡蝶の夢~私の最愛~⑪【夢路・ゆめじ】

第36章 臥待月(ふしまちづきの)夜

「あなたさまは既に事切れた兵庫之助さまをこれでもかと言わんばかりに切り刻んだ。どうして、そこまでなさる必要があったのでしょう? 兵庫之助さまが亡くなられたと判った時点で、刃をおさめられるべきではなかったのですか」
 その言葉に、泰雅の端整な顔が歪んだ。
「俺はお前ら二人を未来永劫、許さぬ。いや、正確には俺からお前を奪った、お前の心を盗んだあいつを絶対に許せぬ」
 泰雅が血を吐くような声で言った。
「憎みたければ俺を憎め、泉水。俺はそなたにそうやって見つめられたかったのだ。ひたすら疎まれ逃げられるだけの俺が、そなたにそのような燃える瞳で見つめられるためには、最早、憎しみを買うしかなかった。嫌われるよりは、憎まれる方がまだマシだ。憎んで憎んで、この身を灼き尽くすほどに俺を憎め。そして、どのようなことがあっても、憎しみを、俺を忘れるな」
 泉水は息を呑んだ。泰雅の心情の吐露は、全く予期せぬものであった。
―嫌われるよりは、憎まれる方がまだマシだ。憎んで憎んで、この身を灼き尽くすほどに俺を憎め。そして、俺を忘れるな。
 憎まれることで、己れの存在を相手の心に永遠に灼きつける。それは、あまりにも烈しい愛であった。
 茫然としている泉水の前に、ふいに懐剣が投げてよこされる。
 泉水がハッとして、泰雅を見た。
「殺せ」
 まるで子どもに飴でもくれてやるような言い方だった。
「殺したいのであろう? ここまで惚れた女の手にかかって死ぬのであれば、俺は本望だ。もとより、秋月兵庫之助を斬ったときから、ただでは済まぬ、いつかこのような日が来ることは覚悟していた。そなたは、そういう女だ。可愛い外見に似合わぬ、内に秘めた芯の強さがある。惚れた男をあのように殺され、復讐を挑んでこぬはずはないと思うていた。俺は、どこかでそれを待っていた。思えば、俺は、そなたのそのような強さに惹かれたのやもしれぬ」
「殿、まさか、初めから私の意図をご存じだったのでございますか?」
 泉水は怖ろしい予感に胸が震える。
 その問いに、泰雅が初めて笑った。

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