
胡蝶の夢~私の最愛~⑪【夢路・ゆめじ】
第36章 臥待月(ふしまちづきの)夜
「はて、それは、どうであろうな。その点については気付いていたとも言えるし、気付いてはいなかったとも言えるだろう。俺は、そなたがどれほど潔癖であったかをよく知っている。俺が知るそなたであれば、いかに心に秘めたる決意を持っていたとしても、好きでもない男に進んで抱かれるとは思えなかった。ゆえに、正直、俺は、何故そなたがここに戻ってきたのか初めは判らなかった。だが、その中にそのような理由はどうでも良いと思うようになった。たとえ、その裏にどのような経緯(いきさつ)があり、そなたが何を企んでおったとしても、そなたが自ら脚を開き、俺を誘いさえする。であれば、今はそのひとときの夢に存分に浸ろうと思うたのよ」
その笑顔は皮肉げでもなく、はるか昔、まだ二人が幸せな夫婦であった頃、泉水がよく見た屈託ない明るい笑みであった。
「泉水、そなたが思う以上に、俺はそなたを愛している。そなたがどのような意図で舞い戻ってきたのだとしても、それがひとときの夢だしても、俺はその夢に縋りたかった。そのお陰で、最後に途方もない夢が見られたんだ。短い間ではあったが、幸せだった。こんな言い方は良くないだろうが、そなたには感謝している」
「それでは、殿は私の気持ちをご存じの上で―」
泉水は、うなだれた。泰雅はすべてを知った上で、素知らぬ顔で泉水を抱いていたのか。
それなのに、泉水は泰雅が何も知らぬと思い、淫らにも褥へと誘い、泰雅の腕の中で悦びの声を洩らしていたのだ。何という屈辱、何という空しさ―。
今すぐにこの場で死んでしまいたいと思うほどの恥ずかしさであった。
泉水の眼に大粒の涙が溢れ、頬を流れ落ちる。泣くまいと思っても、涙は後から後から堰を切ったように溢れてくる。
「泣かないでくれ。こんなことを言う資格がないのは判っているが、俺は少なくとも幸せだった。そなたが帰ってきてくれて、嬉しかった。少しでも長くこの夢が続けば良いと思っていたんだ。それに、何もそなたが戻ってきたときから、その意図をしかと見抜いていたわけではない。俺を殺す気なのだとはっきりと自覚したのは、何を隠そう、今夜なのだからな」
泉水はうつむいたまま、ひっそりと涙を流し続けた。泰雅が近付いてくる。何をするのかと思っていたら、泉水の手前に落ちている懐剣を拾い、その手に握らせた。
その笑顔は皮肉げでもなく、はるか昔、まだ二人が幸せな夫婦であった頃、泉水がよく見た屈託ない明るい笑みであった。
「泉水、そなたが思う以上に、俺はそなたを愛している。そなたがどのような意図で舞い戻ってきたのだとしても、それがひとときの夢だしても、俺はその夢に縋りたかった。そのお陰で、最後に途方もない夢が見られたんだ。短い間ではあったが、幸せだった。こんな言い方は良くないだろうが、そなたには感謝している」
「それでは、殿は私の気持ちをご存じの上で―」
泉水は、うなだれた。泰雅はすべてを知った上で、素知らぬ顔で泉水を抱いていたのか。
それなのに、泉水は泰雅が何も知らぬと思い、淫らにも褥へと誘い、泰雅の腕の中で悦びの声を洩らしていたのだ。何という屈辱、何という空しさ―。
今すぐにこの場で死んでしまいたいと思うほどの恥ずかしさであった。
泉水の眼に大粒の涙が溢れ、頬を流れ落ちる。泣くまいと思っても、涙は後から後から堰を切ったように溢れてくる。
「泣かないでくれ。こんなことを言う資格がないのは判っているが、俺は少なくとも幸せだった。そなたが帰ってきてくれて、嬉しかった。少しでも長くこの夢が続けば良いと思っていたんだ。それに、何もそなたが戻ってきたときから、その意図をしかと見抜いていたわけではない。俺を殺す気なのだとはっきりと自覚したのは、何を隠そう、今夜なのだからな」
泉水はうつむいたまま、ひっそりと涙を流し続けた。泰雅が近付いてくる。何をするのかと思っていたら、泉水の手前に落ちている懐剣を拾い、その手に握らせた。
