
胡蝶の夢~私の最愛~⑪【夢路・ゆめじ】
第5章 《謎の女》
最初の女が相も変わらず大袈裟に愕く。このいささか過剰とも思える反応は乳母の時橋の物言いに似ている。こんなときなのに、泉水はそんな場違いなことをぼんやりと考えた。
「当然にございましょう。殿にはいまだお世継ぎもおわさず、このようなことを申し上げては何でございますが、この榊原さまのお家のご当主は代々短命、皆さまお若くしてお隠れあそばされておわしまする。先代の殿も三十お幾つというお若さでご無念のご逝去、となれば、万が一、殿の御身に変事がありしときは、この榊原のお家は断絶ということになったしまいます。おん母君さまがお家のゆく末をご心配なされるのは当然のことにございましょう」
「さりながら、奥方さまのお父君は今をときめく勘定奉行の槇野さまにございますよ、槇野さまは公正で身分の上下の関わりなく誰にでもお優しいお方とお聞きしましたが、流石に大切なご息女の御事とならば、また別ではございませんか。それでなくとも、槇野さまは本気でお怒りになられたれば、怖ろしい方ということでございますから。子を思う親の心を推し量ることはできませんもの。殿がまだご新婚の夢もさめやらぬこの時期に外に女を囲ったなどとお知りになれば、一体いかほどお怒りになられるか、私は考えただけで怖ろしうございます」
「確かに、仰せはごもっともでございしまょうね。このことが露見いたせば、槇野さまのお家と当家でもめ事が起きるは必定、それゆえ、殿も事を極秘にお進めになっておられるのでしょう」
「されど、そういついつまでも隠し通せることではございませんでしょう。何しろ、その側妾が懐妊しているとなれば、事は容易ではございませぬ」
「それについては、私、ただならぬ話をお聞き致しました。実はー」
ここでまた声が小さくなり、泉水には聞こえなくなった。
だが、これで十分だった。泉水は、それからどうやって自分の部屋まで戻ってきたのか全く憶えてはいなかった。ただ、腰元たちが話を終えて再び歩き出し、角の向こうへと消えてしまうまで、息を殺して茂みに隠れていたことだけは憶えている。後は、まるで雲の上を歩くようなふわふわとした覚束ない感覚で歩いていたような気がする。
我に返ったときは、乳母の時橋の腕の中で泣きじゃくっていた。
「当然にございましょう。殿にはいまだお世継ぎもおわさず、このようなことを申し上げては何でございますが、この榊原さまのお家のご当主は代々短命、皆さまお若くしてお隠れあそばされておわしまする。先代の殿も三十お幾つというお若さでご無念のご逝去、となれば、万が一、殿の御身に変事がありしときは、この榊原のお家は断絶ということになったしまいます。おん母君さまがお家のゆく末をご心配なされるのは当然のことにございましょう」
「さりながら、奥方さまのお父君は今をときめく勘定奉行の槇野さまにございますよ、槇野さまは公正で身分の上下の関わりなく誰にでもお優しいお方とお聞きしましたが、流石に大切なご息女の御事とならば、また別ではございませんか。それでなくとも、槇野さまは本気でお怒りになられたれば、怖ろしい方ということでございますから。子を思う親の心を推し量ることはできませんもの。殿がまだご新婚の夢もさめやらぬこの時期に外に女を囲ったなどとお知りになれば、一体いかほどお怒りになられるか、私は考えただけで怖ろしうございます」
「確かに、仰せはごもっともでございしまょうね。このことが露見いたせば、槇野さまのお家と当家でもめ事が起きるは必定、それゆえ、殿も事を極秘にお進めになっておられるのでしょう」
「されど、そういついつまでも隠し通せることではございませんでしょう。何しろ、その側妾が懐妊しているとなれば、事は容易ではございませぬ」
「それについては、私、ただならぬ話をお聞き致しました。実はー」
ここでまた声が小さくなり、泉水には聞こえなくなった。
だが、これで十分だった。泉水は、それからどうやって自分の部屋まで戻ってきたのか全く憶えてはいなかった。ただ、腰元たちが話を終えて再び歩き出し、角の向こうへと消えてしまうまで、息を殺して茂みに隠れていたことだけは憶えている。後は、まるで雲の上を歩くようなふわふわとした覚束ない感覚で歩いていたような気がする。
我に返ったときは、乳母の時橋の腕の中で泣きじゃくっていた。
