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胡蝶の夢~私の最愛~⑪【夢路・ゆめじ】

第37章 花の別れ

「殿、これもやはり山寺にいた頃に師匠よりお聞きした話にございますが、人と人の出逢いは皆、すべて意味のあるものだそうにござります。すべての出逢いは、縁(えにし)と縁が縦糸と横糸が連なり、一枚の布を織りなすごときものにて、御仏があらかじめお定めになったものだと。もし仮に一本の糸が欠けても、布を織り上げることができぬように、無駄な出逢いは何一つないのだと師匠から教えられました」
「無駄な出逢いはない―」
 泉水の言葉をなぞる泰雅に、泉水は微笑した。
「確かに殿をお恨みしたこともございました。されど、殿とお逢いしたからこそ、黎次郎君を授かることもできたのでございます」
「そうか。そのように考えれば、少しは気も楽だな」
 泰雅が弱々しい笑いを浮かべる。
「殿、お疲れになられたのではございませぬか」
 その顔色の悪さに、泉水は愕いた。
 土気色だった顔色が更に黄ばんだように見える。心なしか、呼吸も荒い。
「申し訳ございませぬ。私としたことが、長居をして殿をお疲れさせてしまいました」
「いや、たいしたことはない」
 泰雅はそう言って、顔を歪めた。笑おうとしたようだが、どこかが痛んだのだろう。
「少しお眠りになられた方がよろしうございます」
 そう言って立ち上がろうとする腕をふと捉えられた。泉水は自分の手を掴む男の手をまじまじと見つめた。先刻手を取られたときは気付かなかったが、泰雅の手は随分と細くなったようだ。かつては逞しかった男の腕は見る影もなく枯れ木のように痩せ衰えていた。
 そのあまりの変わり様が切なかった。
 泰雅が慌てて身を起こそうとして、顔をしかめる。腹部を押さえ、小さく呻いた。
「動かれてはなりませぬ。少し御寝あそばしませ」
 やんわりと諫めると、泰雅が振り絞るように言う。
「眠りから覚めたら、そなたがいなくなっている―、あの怖ろしい夢のようになるのは嫌だ。行くな。眼が覚めるまで、ここにいてくれ」
 泰雅は泉水の手を放そうとしない。幼子が母親に懇願するような、懸命な表情が浮かんでいる。

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