胡蝶の夢~私の最愛~⑪【夢路・ゆめじ】
第5章 《謎の女》
そうか」
泉水はぼんやりと蒼色の花を眺めた。心なしか、昨日よりはほんの少し色が濃くなったような気がする。
昨夜、泉水は頭痛を言い訳に泰雅のお召しを辞退した。夜伽を拒むのは初めてのことであったが、泰雅からは身体を大事にして養生するようにという伝言が伝えられたのみであった。
うつろい易いのは人の心。
どうも、次第に色を変えてゆくこの花を見つめていると、そんなことを考えしまう。うつろってゆく花の色をつい人の心になぞらえてしまうのだ。
泉水がほろ苦く微笑した時、襖の向こうに人の気配がした。
「失礼致しまする。坂井琢馬めにござりまする」
その嗄れた声に、泉水と時橋は顔を見合わせた。坂井琢馬は槇野家より従ってきた老臣である。いわば、付き従ってきた女たちを束ねるのが時橋の役目なら、男たちを統べるのが琢馬の任務であった。
本来ならば、榊原家の当主たる泰雅以外はたとえ何人たりとも男子は奥向きには入れない。が、この坂井琢馬のみは泉水のたっての願いで、奥向きに自由に出入りが許されていた。
これについて、榊原家に仕える家臣一同は、
―殿はお方さまにはお弱い。
と、露骨に顔をしかめた。
実際のところ、泰雅の泉水への寵愛は度を超していると思えなくもない。婚儀を挙げたばかりの頃は、泰雅が奥向きに脚を踏み入れようともせず、折角迎えた正室とも閨を共にしないことに難儀したものだった。
このまま夫婦仲がよそよそしいままでは、槙野源太夫の手前もあるし、いつまで待っても世継ぎにも恵まれない。憂えていた矢先、泰雅が泉水と毎日のように臥所を共にするようになり、やっと愁眉を開いたのだ。だが、今度は逆に泰雅が泉水に溺れきっているのではと思えるほどの傾倒ぶりで、朝も陽が高くなってから漸く寝所から出てくる有様だ。
―確かに殿の女狂いは止んだが、あれでは、今度は奥方さまに狂っておられるとしか言いようがない。あのご寵愛ぶりは異常だ。殿はやはり、どうかしておられのではないか。
と、手放しでは歓べない状態だ。
泉水はぼんやりと蒼色の花を眺めた。心なしか、昨日よりはほんの少し色が濃くなったような気がする。
昨夜、泉水は頭痛を言い訳に泰雅のお召しを辞退した。夜伽を拒むのは初めてのことであったが、泰雅からは身体を大事にして養生するようにという伝言が伝えられたのみであった。
うつろい易いのは人の心。
どうも、次第に色を変えてゆくこの花を見つめていると、そんなことを考えしまう。うつろってゆく花の色をつい人の心になぞらえてしまうのだ。
泉水がほろ苦く微笑した時、襖の向こうに人の気配がした。
「失礼致しまする。坂井琢馬めにござりまする」
その嗄れた声に、泉水と時橋は顔を見合わせた。坂井琢馬は槇野家より従ってきた老臣である。いわば、付き従ってきた女たちを束ねるのが時橋の役目なら、男たちを統べるのが琢馬の任務であった。
本来ならば、榊原家の当主たる泰雅以外はたとえ何人たりとも男子は奥向きには入れない。が、この坂井琢馬のみは泉水のたっての願いで、奥向きに自由に出入りが許されていた。
これについて、榊原家に仕える家臣一同は、
―殿はお方さまにはお弱い。
と、露骨に顔をしかめた。
実際のところ、泰雅の泉水への寵愛は度を超していると思えなくもない。婚儀を挙げたばかりの頃は、泰雅が奥向きに脚を踏み入れようともせず、折角迎えた正室とも閨を共にしないことに難儀したものだった。
このまま夫婦仲がよそよそしいままでは、槙野源太夫の手前もあるし、いつまで待っても世継ぎにも恵まれない。憂えていた矢先、泰雅が泉水と毎日のように臥所を共にするようになり、やっと愁眉を開いたのだ。だが、今度は逆に泰雅が泉水に溺れきっているのではと思えるほどの傾倒ぶりで、朝も陽が高くなってから漸く寝所から出てくる有様だ。
―確かに殿の女狂いは止んだが、あれでは、今度は奥方さまに狂っておられるとしか言いようがない。あのご寵愛ぶりは異常だ。殿はやはり、どうかしておられのではないか。
と、手放しでは歓べない状態だ。