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胡蝶の夢~私の最愛~⑪【夢路・ゆめじ】

第5章 《謎の女》

「坂井さま、お方さまに何を仰せになられるおつもりでござります?」
 泉水は不審げな顔で時橋を、次いで琢馬を見た。
「実は、こちらの殿のご素行に関してにござりまする」
「坂井さま、そのお話は今少し待って―」
 言いかける時橋を手で制し、泉水は琢馬を真正面から見つめた。
「その話とやらを是非とも聞かせて貰いたい」
 気心の知れぬ主従三人だけの部屋に、わずかな沈黙が落ちた。
 琢馬は、落ち着かぬげにせわしなく瞬きを繰り返した後、漸く話し始めた。
「実はでごさりまするな、こちらの殿が―」
「前口上なぞ、爺らしくもない、前置きは良から、さっさと申せ」
 泉水がせき立てると、琢馬はまた小皺の寄った細い眼をまたたかせた。
「実は、こちらの殿が江戸市中にお手つきの女子をひそかに囲っておられるとの専らの噂にござりまする」
 ひと息に言った琢馬を、泉水は無表情に見つめた。
「そのような話、とうに知っておる」
「さようでございますか」
 琢馬は何と応えたら良いものか思案しているらしく、難しい表情で黙りこんだ。
「某、更に由々しきことを耳に入れた次第」
 その言葉に、泉水は小首を傾げた。
「どうも今日の爺はいつになく勿体ぶった物言いをするのう。申したきことがあるならば、遠慮せずに申すが良い」
 琢馬の口調の歯切れが悪かったのには、それなりの理由があった。そのことを、泉水はすぐに知ることになった。
「既にお聞き及びとは存じませんでしたが、実は、その女が一昨日の夜、極秘裏に出産したとのことにごさります」
「何と、既に身二つになったと申すか」
 それには泉水よりは時橋の方が驚愕の声を上げた。泉水はまるで静まり返った湖のように、何の反応も示さない。
 一昨日といえば、泰雅が夜半、慌ただしく出かけていった夜だ。そうか、これですべての辻褄が合う。あの夜、泰雅の情けを受けた女は子を産んだのだ―。恐らくは女が産気づいたとの報告を受け、泰雅はああも慌てて出かけていったに違いない。
 そして、駆けつけた泰雅の見守る中、女は滞りなく出産を終えたのだ。

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