胡蝶の夢~私の最愛~⑪【夢路・ゆめじ】
第6章 誤解
無限にひろがる闇を背負うようにして立つ男の貌には確かに見憶えがある。ふた月前、榊原の屋敷の近くで商家の内儀らしい女と幼い倅に絡んでいた旗本奴である。確か数人いる旗本奴たちの中では、首領格の男のようであった。名は確か―。
「秋月さまと申されましたか」
男がニヤリと笑った。この前は、確か荒んだ雰囲気を身体全体から発散させていたけれど、今夜は危険さを孕んだ空気を纏ってはいない。
「別嬪さんに名を憶えて貰っていたとア、こいつは光栄だ」
泉水の父槙野源太夫の配下、勘定吟味役秋月 の息子だとかいっていた。泉水の思考がめまぐるしく回転している傍で、男は両手を顎に当て、しばらく泉水を見つめた。
「お前、まさか、あの男と付き合ってたりはしないだろうな?」
「あの男?」
泉水が問い返すと、秋月の息子は真顔で頷いた。
「ああ、二ヶ月前、お前を助けたあの男さ」
それで、秋月が言っているの“あの男”というのが泰雅を指すのだと悟った。
「悪いことは言わねえ、あいつだけは止めといた方が良い。お前のような世間知らずの娘は知らねえだろうが、あいつは札付きの女たらしなんだぜ。俺たちのような連中も世間の鼻つまみものだが、あいつはある意味、もっと質が悪い。見かけはあのとおりのいかにももてそうな優男だが、中身は蛇のようなずる賢い悪党さ。あんな奴にとっちゃア、お前のような娘を騙すなんざ、赤子の手をひねるより容易いだろうよ」
「あの―」
泉水は少し躊躇ったけれど、自分の素性を打ち明けることにした。相手を騙すのは良くないと判断したのだ。それに、この秋月家の極道息子は見かけは危険極まりないように見えるが、その実、見かけほどは性根は悪くはなそうだ。
「私は槙野源太夫の娘で、泉水といいます」
名乗ると、相手が瞬時、固唾を呑むのが判った。
「槙野さまのご息女、ってことは、じゃあ」
秋月はまじまじと泉水を見つめた。明かりといえば細い月からの淡い光だけで、互いの顔さえ定かには見えない。それでも、じいっと見つめられ、泉水は頬が染まるのが判った。
「あいつの嫁さんか―」
秋月は呟き、小さな吐息をはいた。
「秋月さまと申されましたか」
男がニヤリと笑った。この前は、確か荒んだ雰囲気を身体全体から発散させていたけれど、今夜は危険さを孕んだ空気を纏ってはいない。
「別嬪さんに名を憶えて貰っていたとア、こいつは光栄だ」
泉水の父槙野源太夫の配下、勘定吟味役秋月 の息子だとかいっていた。泉水の思考がめまぐるしく回転している傍で、男は両手を顎に当て、しばらく泉水を見つめた。
「お前、まさか、あの男と付き合ってたりはしないだろうな?」
「あの男?」
泉水が問い返すと、秋月の息子は真顔で頷いた。
「ああ、二ヶ月前、お前を助けたあの男さ」
それで、秋月が言っているの“あの男”というのが泰雅を指すのだと悟った。
「悪いことは言わねえ、あいつだけは止めといた方が良い。お前のような世間知らずの娘は知らねえだろうが、あいつは札付きの女たらしなんだぜ。俺たちのような連中も世間の鼻つまみものだが、あいつはある意味、もっと質が悪い。見かけはあのとおりのいかにももてそうな優男だが、中身は蛇のようなずる賢い悪党さ。あんな奴にとっちゃア、お前のような娘を騙すなんざ、赤子の手をひねるより容易いだろうよ」
「あの―」
泉水は少し躊躇ったけれど、自分の素性を打ち明けることにした。相手を騙すのは良くないと判断したのだ。それに、この秋月家の極道息子は見かけは危険極まりないように見えるが、その実、見かけほどは性根は悪くはなそうだ。
「私は槙野源太夫の娘で、泉水といいます」
名乗ると、相手が瞬時、固唾を呑むのが判った。
「槙野さまのご息女、ってことは、じゃあ」
秋月はまじまじと泉水を見つめた。明かりといえば細い月からの淡い光だけで、互いの顔さえ定かには見えない。それでも、じいっと見つめられ、泉水は頬が染まるのが判った。
「あいつの嫁さんか―」
秋月は呟き、小さな吐息をはいた。