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胡蝶の夢~私の最愛~⑪【夢路・ゆめじ】

第1章 《槇野のお転婆姫》

 新婚早々、良人に捨て置かれた妻―というのは、いくら何でも外聞が悪すぎる。それでなくとも、父にはこれまで心配をかけてきた。長らく心痛の種であった泉水が漸く落ち着いたと思えば、すぐにこの有様では父も浮かばれまいと思ったのだ。それに、父自身、深雪との婚儀を今秋に控えている。泉水が嫁いで、深雪と虎松丸、親子三人でゆるりと過ごしているところだろう。そんな父の漸く手にした幸せに水を差すようなことは極力避けたい。
 泉水としては、良人の眼を気にせず、日々悠々自適に過ごしている。好きな漢籍―女だてらに漢字がずらりと並んだ小難しい本ばかりを読むのが好きなのだ―を読みふけり、飽きれば庭に出て樹に昇る。高みから見下ろす地上や蒼い空はまた格別だ。涯(はて)なく続く空を眺めていれば、良人の訪れがないことなぞ何ほどのこともないと思えてくる。そのような俗世の些事に患わされるのがいかにも馬鹿げたものに思えてくるから不思議だ。
 泉水の今の暮らしは嫁ぐ前と何ら変わりない。大体、泉水は良人に甲斐甲斐しく仕え、素直に従う自分の姿を思い描くことができない。一日も早くお世継ぎを生むことだけを考え、ひたすら良人の愛を得ようと躍起になって日を送るのを考えただけで、ゾッとするのだ。男に愛され、その子を身ごもり、生み育てる―それが世の人が考える女の幸せというものであるらしい。時橋もまた泉水にそんな女の幸せを得て欲しいと切に望んでいる。だが、泉水はそんな暮らしに何の幸せがあるのか思う。
 ただ男の機嫌を窺い、男の言うがなりになるだけの暮らしは真っ平ご免だ。ましてや、泰雅の大勢の女たちの中でその寵愛を争うなどという醜い生き方なぞしたくもない。
 ゆえに、今の生活は満更悪くはないと受け止めているのだけれど、時橋にしてみれば我慢ならないのだろう。確かに、泰雅の泉水に対する態度は、あまりにも邪険であり、冷淡すぎる。せめて上辺だけでも泉水を正室として尊重してくれたなら、時橋もこうまで腹を立てはしないのだが。泉水を無視するという行為は、即ち泉水の父槇野源太夫をも蔑ろにすることになり、下手をすれば、槇野家と榊原家との間で諍いの因にもなりかねない。
 泰雅はそれが判らぬほど愚かな男ではないはずなのだが、もしくは、泉水が実家に現状を申し送ることはないと最初から高をくくっているものか。

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