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胡蝶の夢~私の最愛~⑪【夢路・ゆめじ】

第8章 予期せぬ災難

「ありがとうございます。そのように仰せ頂いて、手前どもと致しましても嬉しい限りでございます。まだ名の売れていない職人の作ということで、このようにお安くお求め頂けるようになっております」
 手代が泉水を眩しげに見つめて、熱っぽく説明する。泉水は相手の反応には頓着もせず、頷いた。
 泰雅の危惧は無理もないところがある。泉水は自分がどのように相手に見られているとか、相手に悪意があるかどうかなどには無関心、というか、あまりにも無防備すぎる。他人を容易く信じすぎてしまうのだ。そして、泉水自身が考えている以上に、泉水は器量も良いし、何より愛らしい。大きな黒い眼には常に生き生きと輝き、理知の光が宿っている
 自分の身の危険さえ顧みず、平気で何にでも首を突っ込みたがるお人好しは、裏返せば泉水の優しい気性の証だ。泉水を知れば、たいがいの男はその魅力に惹きつけられ。そけれは単なる外見の美しさだけではない、内面から滲み出てくる魅力であった。
 何より、数えきれぬほどの女と拘わりを持った泰雅自身が泉水のその不思議な魅力に囚われてしまった。もう他の女は要らないと思うほどに、泉水を深く愛してしまったのだ。
 結局、少し後、泉水はそのかんざしを懐に入れて元来た道を歩いていた。最初は買うつもりはなかったのに、熱心に説明をする手代に気の毒で、つい買ってしまった。が、あのような安値でこれだけの品物が手に入るとは存外拾いものかもしれない。あの手代の言葉どおり、これだけの品を作る職人のことだ、名が広まれば、もっと値が張ってくるに相違ない。
 そうなる前に手に入れることができた自分は果報者かもしれしない。そんなことを考えながら賑やかな大通りを歩いた。このかんざしを買った店は、大店ばかりが並ぶこの通りでは、けして構えは大きくはない。しかし、あの若い手代をはじめ、店の奉公人たちは皆好印象だった。
 泉水の心は弾んだ。先刻までの暑さにうんざりした気分もいつしか霧散していた。やはり、かんざしを買ったことで、娘らしい心の華やぎを感じていたのだ。ゆえに、往来の向こうかにちっとも注意を払っていなかったのは迂闊であった。ハッと気が付いた時、泉水は眼を見開いた。

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