天空(そら)に咲く花~あのひとに届くまで~
第1章 第一話〝招き猫〟―旅立ち―
顔さえ朧にしか憶えてはおらぬ母が労咳で亡くなったのは、弥栄が五つになる前のことだった。以来、ずっと男手一つで育ててくれた父の境涯を思えば、父がけして長いとはいえなかった人生の最後に、それほどまでに惚れ抜いた女性とめぐり逢えたことは、ある意味では幸せだったのかもしれない。素直にそう思えるようになったのは、弥栄も伊予屋での二年の日々を経て、幾ばくかは成長した証なのかもしれない。
「入ります」
廊下を歩いていた弥栄はつと歩みを止め、声をかけた。膝をついてそろそろと障子を開けると、十畳ほどの座敷で弐兵衛がゆったりと寛いでいた。
「お呼びとお聞きしましたが」
伯父とはいえ、十四で引き取られるまで顔すらろくに見たこともない人だった。言葉遣いも自然と丁寧なものになる。
「ああ、来たかね」
弐兵衛は同じ両親を持つとは思えぬほど、父とは似ても似つかなかった。長身で男ぶりも良かった父に比べ、小柄で風采も上がらない。細い眼は普段から何を考えているか判らないような得体の知れなさがあった。
弐兵衛が伊予屋に養子に出されたのは、そもそも先々代―二人の父親が弐兵衛を嫌ったからだとも言われているが、なるほど、血を分けた我が子といえども、このように無愛想であれば、先代が弐兵衛よりも愛敬のあった弟絃七を可愛がったのも無理はない。
弐兵衛はいつものようにむっつりとした顔でぞんざいに言うと、顎をしゃくった。
「まぁ、そこにお座り」
言われるままに部屋に入ると、弐兵衛とは少し距離を置いて下座に座った。
脇息に寄りかかっていた弐兵衛は身を起こすと、傍らの煙草盆を引き寄せ、煙管に火を付けた。
「流石に卯月ともなると、障子戸を閉(た)て切っていては暑いな」
「入ります」
廊下を歩いていた弥栄はつと歩みを止め、声をかけた。膝をついてそろそろと障子を開けると、十畳ほどの座敷で弐兵衛がゆったりと寛いでいた。
「お呼びとお聞きしましたが」
伯父とはいえ、十四で引き取られるまで顔すらろくに見たこともない人だった。言葉遣いも自然と丁寧なものになる。
「ああ、来たかね」
弐兵衛は同じ両親を持つとは思えぬほど、父とは似ても似つかなかった。長身で男ぶりも良かった父に比べ、小柄で風采も上がらない。細い眼は普段から何を考えているか判らないような得体の知れなさがあった。
弐兵衛が伊予屋に養子に出されたのは、そもそも先々代―二人の父親が弐兵衛を嫌ったからだとも言われているが、なるほど、血を分けた我が子といえども、このように無愛想であれば、先代が弐兵衛よりも愛敬のあった弟絃七を可愛がったのも無理はない。
弐兵衛はいつものようにむっつりとした顔でぞんざいに言うと、顎をしゃくった。
「まぁ、そこにお座り」
言われるままに部屋に入ると、弐兵衛とは少し距離を置いて下座に座った。
脇息に寄りかかっていた弐兵衛は身を起こすと、傍らの煙草盆を引き寄せ、煙管に火を付けた。
「流石に卯月ともなると、障子戸を閉(た)て切っていては暑いな」