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天空(そら)に咲く花~あのひとに届くまで~

第1章 第一話〝招き猫〟―旅立ち―

 あれは確か亡くなる数日前のことだ。
 父がぽつりと洩らしたことがあった。
―弥栄、お前はどこぞに言い交わした男はいねえのか?
 十六といえば、結婚適齢期だ。現に、弥栄の通っている裁縫教室の友達の中には十五で嫁に行った娘もいた。
 父は直接口にしたことはないが、一人娘の自分はいずれ聟を迎えて店を継ぐのだ信じて疑ったことはなかった。
―いやあね。おとっつぁんったら、いきなり何を言い出すのよ?
 弥栄が紅くなると、父は遠くを見るような瞳で言った。
―恋は魔物だって昔から言うからな。ある日、突然、心の中に忍び込んで、人を狂わせちまう。お前も悪ィ男に引っかからねえように十分気をつけるんだぞ。
 恋は魔物―、父親の口から突如として飛び出た意外な科白に、そのときの弥栄は気を払うことはなかった。
 だが、今から思えば、あの何げないひと言は、ふと転がり落ちた父の本音だったのだろう。
 父と白妙花魁がどれほど惚れ合っていたのかは判らない。吉原でも最上級の見世本籬でお職を張る花魁となれば、噂に違わず眩しいほどの美貌であったに違いない。
 一人取り残されたばかりの頃は、父を恨んだこともあった。大店の主人という立場も忘れ果て、自分だけをこの現世(うつしよ)に一人、置き去りにした父を恨めしく思ったこともないといえば嘘になる。
 心中するほどであったのだから、互いに烈しい恋に身を灼いていたことは疑いようもないが、十六になった今では、父のした愚かな過ちも許せるようになっていた。弥栄にはまだ一度として身に憶えのないことだけれど、恐らく恋というものは、そこまで人を惑わせるものなのだろう。

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