天空(そら)に咲く花~あのひとに届くまで~
第5章 母子草
兼道が京に戻った直後、尚姫と嘉亨との間に縁談が持ち上がり、一年後、十七歳になった尚姫は木檜家に嫁いできた。嘉亨は十八歳、尚姫とは歳格好も釣り合った。
「当家の殿もご美男でおわしますゆえ、奥方さまとお並びになられた様は、真、似合いの夫婦雛のようであった。私はお二人が何とか夫婦として仲睦まじうなられるのを願うておりましたが、男と女のことは思うようにはゆかぬものよ」
春日井はほろ苦く微笑して、話を締めくくった。春日井にとって、嘉亨は乳呑み児の頃から手塩にかけた主君である。その想いは、実の母に勝るとも劣らぬものがあるだろう。
春日井の話を聞かされた時、八重は言葉もないほどの打撃であった。
ふた月前の雨の日、清月庵で嘉亨がふと洩らした科白がありありと甦った。
―あれの母が産気づいた時、私はこの庵に入った。男というものは、産室近くにおっても何もできぬゆえ、いっそのこと、ここで心を落ち着けて吉報を待とうと思うたのだ。
清冶郞という名は、父である嘉亨自らが付けた。その名を、嘉亨は清月庵から見た月を眺めていたときに思いついたと話していた。
〝あれの母〟と呼んだ際の嘉亨の口調がどうして気になってしまう。あのときの嘉亨の物言いには、昔を懐かしむような響きがこもっていたように思えたからだ。尚姫と嘉亨は不仲であったと聞いているが、果たして、真実はどうだったのだろう。春日井の話だけでなく、上屋敷では誰もが尚姫と嘉亨の夫婦仲は最初から芳しくなかったのだと言う。しかし、男女―殊に夫婦の間の事は同人同士しか判らぬ複雑な感情がある。
尚姫と嘉亨との間にも、余人には知れぬすれ違いや逆に心の通い合いがあったとしても不思議はない。
「当家の殿もご美男でおわしますゆえ、奥方さまとお並びになられた様は、真、似合いの夫婦雛のようであった。私はお二人が何とか夫婦として仲睦まじうなられるのを願うておりましたが、男と女のことは思うようにはゆかぬものよ」
春日井はほろ苦く微笑して、話を締めくくった。春日井にとって、嘉亨は乳呑み児の頃から手塩にかけた主君である。その想いは、実の母に勝るとも劣らぬものがあるだろう。
春日井の話を聞かされた時、八重は言葉もないほどの打撃であった。
ふた月前の雨の日、清月庵で嘉亨がふと洩らした科白がありありと甦った。
―あれの母が産気づいた時、私はこの庵に入った。男というものは、産室近くにおっても何もできぬゆえ、いっそのこと、ここで心を落ち着けて吉報を待とうと思うたのだ。
清冶郞という名は、父である嘉亨自らが付けた。その名を、嘉亨は清月庵から見た月を眺めていたときに思いついたと話していた。
〝あれの母〟と呼んだ際の嘉亨の口調がどうして気になってしまう。あのときの嘉亨の物言いには、昔を懐かしむような響きがこもっていたように思えたからだ。尚姫と嘉亨は不仲であったと聞いているが、果たして、真実はどうだったのだろう。春日井の話だけでなく、上屋敷では誰もが尚姫と嘉亨の夫婦仲は最初から芳しくなかったのだと言う。しかし、男女―殊に夫婦の間の事は同人同士しか判らぬ複雑な感情がある。
尚姫と嘉亨との間にも、余人には知れぬすれ違いや逆に心の通い合いがあったとしても不思議はない。