天空(そら)に咲く花~あのひとに届くまで~
第5章 母子草
尚姫が訪れたその日、嘉亨は生憎と将軍に拝謁するため登城しており、不在であった。藩邸を訪ねるのに、肝心の当主の留守を予め調べないはずはない。穿った見方をすれば、尚姫はわざと嘉亨の留守を知っていて訪ねてきたともいえる。
尚姫は奥向きにある来客用の小座敷で清冶郞と対面した。まさに、四年ぶりの再会である。だが、八重が思い描いていたような感激の場面はことごとく裏切られた。
尚姫は四年ぶりに逢う我が子を抱きしめもせず、ただ少し離れた場所から見つめていたにすぎなかった。
清冶郞に母の記憶はない。三歳で別れたゆえ、無理からぬことであった。静かな瞳で我が子を見つめる尚姫に比べ、清冶郞は期待に眼をきらきらと輝かせて母を見つめていた。
「母上」
尚姫に飛びつこうとした清冶郞の手を尚姫はすんでのところで掴み、さりげなく外した。
側に控えていた八重も、清冶郞自身も予期せぬ尚姫の反応にハッとした。
「お身大きくおなりあそばされましたね。学問には励んでおられますか」
尚姫が淡々と訊ねる。
清冶郞は母の素っ気ないふるまいにやや怯んだ様子を見せたが、すぐに元気よく頷いた。
「はい、論語ももうかなり憶えております。母上、お聞き下さいますか」
今にも〝子、宣わく〟と始めそうな勢いの清冶郞を、尚姫は軽く制した。
「ご学問の成果をご披露頂くのは、またいずれということに致しましょう。清冶郞君、母は今日、お別れに参りました」
「お別れ―?」
清冶郞の眼が大きく見開かれた。
「はい、母はふた月後には京の都に参ります。もう、江戸に戻ってくることもございませんでしょう。それゆえ、清冶郞君に一度お逢いして、お別れを申し上げようと思いました」
尚姫は奥向きにある来客用の小座敷で清冶郞と対面した。まさに、四年ぶりの再会である。だが、八重が思い描いていたような感激の場面はことごとく裏切られた。
尚姫は四年ぶりに逢う我が子を抱きしめもせず、ただ少し離れた場所から見つめていたにすぎなかった。
清冶郞に母の記憶はない。三歳で別れたゆえ、無理からぬことであった。静かな瞳で我が子を見つめる尚姫に比べ、清冶郞は期待に眼をきらきらと輝かせて母を見つめていた。
「母上」
尚姫に飛びつこうとした清冶郞の手を尚姫はすんでのところで掴み、さりげなく外した。
側に控えていた八重も、清冶郞自身も予期せぬ尚姫の反応にハッとした。
「お身大きくおなりあそばされましたね。学問には励んでおられますか」
尚姫が淡々と訊ねる。
清冶郞は母の素っ気ないふるまいにやや怯んだ様子を見せたが、すぐに元気よく頷いた。
「はい、論語ももうかなり憶えております。母上、お聞き下さいますか」
今にも〝子、宣わく〟と始めそうな勢いの清冶郞を、尚姫は軽く制した。
「ご学問の成果をご披露頂くのは、またいずれということに致しましょう。清冶郞君、母は今日、お別れに参りました」
「お別れ―?」
清冶郞の眼が大きく見開かれた。
「はい、母はふた月後には京の都に参ります。もう、江戸に戻ってくることもございませんでしょう。それゆえ、清冶郞君に一度お逢いして、お別れを申し上げようと思いました」