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天空(そら)に咲く花~あのひとに届くまで~

第5章 母子草

「それは、一体、どういう―」
 清冶郞の視線が揺れた。
 八重は春日井から既に尚姫の今回の来訪の目的を聞かされている。が、清冶郞は四年ぶりに逢う母からいきなり聞かされた別れ話であった。
「母は今度、三条兼道卿というお方に嫁ぐことが決まりました。兼道どのは、母の従兄弟に当たり、そなたの血縁にもなるお方じゃ」
「―」
 清冶郞からは何の応えもなかった。
 八重は、相当に衝撃を受けているらしい清冶郞を気遣いながら、立ち上がった。
 尚姫の前に置かれている湯呑み茶碗にも、高坏に盛られている干菓子にも一切手は付けられていない。菓子はともかく、湯呑みのお茶はとうに冷めているだろう。仮にも前の奥方を粗略には扱えない。新しいものと取り替えようと思い、手付かずの湯呑みを下げたのである。
 八重は何かがおかしいと思った。
 普通、四年ぶりに我が子に逢う母であれば、もう少し感情的にならぬものだろうか。八重が知る限り、尚姫からはついに一度も
―お健やかにお過ごしでございますか? 
 と、清冶郞の健康を気遣う科白は出なかった。
 そのことから、八重はかつてこの屋敷に上がったばかりの頃、春日井からお家の事情として聞かされた話を思い出した。
 尚姫が清冶郞を一度としてその腕に抱いたことがないという話だ。それどころか、尚姫は一歳の誕生日を迎えたばかりの清冶郞が不治の病で余命長くないと知った時、こう言い放った。
―このように病弱な子は我が子にはあらず。
 今の尚姫の態度を見ていれば、春日井の話はあながち誇張されたり、誤ったものではないと思えてしまう。

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