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天空(そら)に咲く花~あのひとに届くまで~

第5章 母子草

 尚姫が訪れた翌日も、清冶郞は朝からずっと塞ぎ込んでいた。八重は何とかしてやりたくても、なすすべがない。八重は清冶郞の母親ではない。その代わりはできても、本当の母親になることはできないのだ。
 尚姫との別離は、清冶郞が自分で乗り越えねばならぬ試練であった。八重はただ、清冶郞の側にいて、涙を零す清冶郞を時折そっと抱きしめてやることしかできなかったのである。
 その日の昼八ツ、八重は清冶郞が午睡から覚めた頃を見計らって寝所の襖を開けた。
 三間続きの座敷は最奥が寝間、真ん中が居間、更に廊下側の部屋がお付きの八重が常駐する控えの間である。清冶郞が昼寝をしている間、八重はいつものようにずっと控えの間に待機していた。むろん何も変わったことはなく、八重は清冶郞が起き出す少し前に部屋を出て、台盤所にお八ツを取りにいったのだ。
「若君さま―?」
 台盤所で用意されたお八ツは既に毒味が済んでいる。今日は、大好物の黒糖羊羹が形良く切り分けられ、高坏に載っていた。清冶郞の歓ぶ顔を想像しながら襖を開けた八重は、小首を傾げた。
 清冶郞の眠っているはずの錦の褥はもぬけの殻であった。どんなに眼で追っても、部屋に清冶郞の姿はどこにも見当たらなかった。
「若君さま!?」
 八重の口から悲鳴のような声が洩れた。その手から捧げ持った高坏が音を立てて落ち、羊羹が畳に転がった。

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