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天空(そら)に咲く花~あのひとに届くまで~

第5章 母子草

「なに、出自など、どうにでもできること。何なら、酒井さまのご養女ということにでもして頂ければ、何の不足もございませんでしょう」
 酒井家は代々木檜家に仕えてきた譜代の重臣中の重臣だ。
「確かに、春日井どのの仰せとあらば、それがしは、異存はござらぬが」
 酒井は満更でもなさそうな顔で顎をつるりと撫でる。殿の正室の父ともなれば、酒井の権勢は絶大なものになる。養女が世継を生めば、次の藩主の外祖父だ。酒井が春日井の提案に良い顔をするのも、もっともなことであった。
「ま、それはともかく今は清冶郞君のご無事が何より大事、春日井どの、早速、その八重なる者を呼び出しましょう」
 逸る酒井に、春日井は笑んだ。
「いいえ、酒井どの。その必要には及びません」
「何と」
 酒井は予期せぬ言葉に眼を剥く。
「今頃、八重はもう若君のおん行く先に向かっているはずにございますゆえ」
 春日井は含んだ物言いをすると、つと視線を上げて意味ありげに酒井を見つめた。

 酒井但世と春日井が奥向きで談合していたのと丁度同じ頃。
 八重は春日井の目論見どおり、江戸の町中にいた。まさか、江戸家老と奥向きを取り締まる老女との話で、自分の名が頻繁に―しかも藩主の正室候補として登場しているなぞとは思いもせずに。

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