テキストサイズ

天空(そら)に咲く花~あのひとに届くまで~

第5章 母子草

 往来を人々が忙しない脚取りで歩いてゆく。じっとりとした暑さに、誰もが少し疲れた表情で家路を急いでいた。誰もが帰る場所を持っているのにひきかえ、今の八重には身を寄せるところがない。そう思うと、今の我が身のあてどなさが余計に身に滲みた。
 恐らく、清冶郞も今、この瞬間、似たような孤独を抱えているに相違ない。実の母親に突き放された淋しさが幼い心を容赦なく傷つけているはずだった。言うなれば、尚姫は清冶郞を二度、棄てたのだ。
 先日と同じように外から声をかけると、ほどなく見憶えのある女中が顔を覗かせた。おみつといい、三十後半の小柄な女である。取り立てて美人というわけではないが、お多福を彷彿とさせる容貌は優しげだ。実際、物言いもやわらかく、大人しい女だった。
 先日訪ねたときは暇を取っていたが、どうやら、病の床についていたという母親は回復したらしい。奥に引っ込んだおみつに続いて、お智が現れた。その後に清冶郞がひっついている。頭を垂れてしょぼくれている様は、あたかも番屋に引き立てられた科人のようだ。
「おみつが家の前に品の良いお武家の坊ちゃんが来ているっていうので、出ていってみたら、清冶郞ちゃんじゃないの、もう愕いちまったの何のって」
 物事には動じないお智は今度ばかりは流石に困惑しているようだ。
 いつも八重には子ども扱いをするなと言っている清冶郞だが、このときばかりは何も言わず、しゅんとうなだれていた。
「清冶郞さま!」
 八重が叫ぶ。
 名を呼ばれても、顔を上げない。子どもなりに、清冶郞は自分の立場をよく心得ている。世継という大切な身でありながら、黙って屋敷を出たことが周囲にどのような影響を与えているかを厭というほど理解しているのだ。
 何度か呼ぶと、漸くゆるゆると面を上げた。

ストーリーメニュー

TOPTOPへ