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天空(そら)に咲く花~あのひとに届くまで~

第5章 母子草

 その夜は、結局、お智の家に泊めて貰うことになった。八重は何とかして上屋敷に清冶郞の無事を知らせたかったけれど、清冶郞の身許を知る者はお智以外にはいない。八重が考えあぐねていると、お智が妙案を出してくれた。
 お智が日本橋の蝋燭問屋〝三船屋〟に行って、許婚者の眞太郞に事の次第を話したのである。眞太郞は一つ返事で木檜藩邸への連絡役を引き受けた。八重がしたためた文を携え上屋敷に赴き、その書状を直接、老女春日井に手渡したのである。そのような厄介な役を快く引き受けてくれたのは眞太郞の人柄もあろうが、やはり、眞太郞がお智に惚れていて、大切に思っているからだろう。
 そこまで愛されているお智は幸せになるに相違ない。眞太郞とお智に感謝しながら、八尾はつくづくそう思った。
 春日井に宛てた書状には、清冶郞の無事と、若君の身柄は自分が生命を賭けてお守りして必ず明日の夕刻までには連れ帰るゆえ、今しばらく黙って思うようにさせて欲しい旨をしたためた。もとより、今夜の逗留先も書いたが、春日井がこの文を読んでもなお、清冶郞をここに連れ戻しにくるとは思えなかった。
 春日井という女性は、そういう人だ。腰元たちにも容赦なく厳しいが、筋の通らぬことを言う人ではないし、人情を理解することもできる人だと八重は受け止めていた。
 その夜、八重と清冶郞は二階の客間に床を並べて眠った。
 蚊遣りの匂いがぷんぷんと匂う部屋には蚊帳が吊ってある。疲れてさせてはならないと早めに床に押し込んでものの、清冶郞はやはり常とは違う環境に興奮して寝付けない様子であった。
「八重」
 ふと名を呼ばれ、八重は眼を淡い闇の中で眼を瞠る。
「はい、何でございましょう」

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