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天空(そら)に咲く花~あのひとに届くまで~

第6章 撫子の君

 幾ら話しかけても八重が上の空ゆえ、清冶郞が腹を立てたらしい。
「あ、は、はい。何でございましょう?」
 慌てて取り繕うように訊ねると、清冶郞が露骨に頬を膨らませる。
「酷いぞ、八重。私の申したことを全く聞いていなかったのだな」
「申し訳ございませぬ。つい考え事を致しておりまして。それで、何のお話でしたか?」
「金魚の名前だよ、名前」
「はっ?」
 八重が素っ頓狂な声を上げたまさにその時、すれ違おうとしていた深編み笠の武士がおもむろに笠をわずかに持ち上げた。その隙に、整った容貌がちらりとかいま見え、八重は思わず、あっと声を洩らしそうになる。
「清冶郞、八重をあまり困らせてはならぬぞ?」
「父上!!」
 思いもかけぬ人の登場に、八重は眼を見開く。
 清冶郞は嬉しげにダッと走って、父に飛びついた。
「八重、また清冶郞が面倒をかけたようで、あい済まぬ」
 嘉亨が詫びると、八重は首を振った。
「いいえ、私の方こそおん大切な若君さまを一度ならず二度までも巷にお連れするような仕儀になり、真に何とお詫び申し上げて良いか判りませぬ。この責めは当然ながら、お受けする覚悟はできております」
「一度めはともかく、二度目は、そなたには罪はない。清冶郞自身が勝手に町に出たのであろう」
 事もなげに言う嘉亨に、八重はうつむく。
「さりながら、最初に若君さまを市中にお連れ申し上げることがなければ、このようなことにはならなかったと存じます」

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