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天空(そら)に咲く花~あのひとに届くまで~

第1章 第一話〝招き猫〟―旅立ち―

「ま、良いだろう。人には好みというものがある。私やおすみから見れば、願ってもない話だとは思うが、当のお前が厭だというのであれば、是非もない。私としても、お前が気が進まぬというのを何もごり押ししようなんぞとは露ほども考えてはいないんだからね」
 珍しく猫撫で声で言い、弐兵衛はさも美味そうに煙草を吸い終えると、煙管の先をポンと煙草盆に打ちつけた。
「その代わりというわけでもないんだが、他にも一つ話がある。むろん、お前の身の落ち着き先を決める話だ」
 弐兵衛の細い眼がじいっと見据えてくる。
 弥栄は居心地悪く、そっと眼を伏せた。
「むろん、お前もいつまでもこのままというわけにはゆかないことも判っているだろう? お前を養女に迎えたときには、確かに私もお前を伊予屋の跡継にと考えないでもなかった。しかし、今はうちも弐助という跡継を得た。お前も知ってのとおり、この店は元々、私のものではなく、おすみの親父さんから引き継いだ店だ。おすみも義理の姪であるお前よりも、血の繋がった甥っ子に継がせたがっている。私もそのおすみの気持ちを無下にはできないんだよ。悪く思わないでおくれ」
 要するに、一つの店に二人の跡取り候補は要らないということだ。
「紙問屋で作っている組合があってね、お前のおとっつぁんが元気な頃は組合の長を務めていたから、むろん、お前も組合のことは知ってるだろう。その今の組合長が増田屋さんで、増田屋さんは手広く商いをなさっていて、今はさる大名家のお屋敷にも繁く出入りしている」
 増田屋の名は、世事に疎い弥栄でも聞いたことはある。三代ほど前に美濃から出てきた初代が興した店だが、たちまちの中に大店の仲間入りをして、現在はとある藩のお屋敷に御用商人として出入りしているという。

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