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天空(そら)に咲く花~あのひとに届くまで~

第6章 撫子の君

 その時、往来の向こうから声高に呼ばわりながら歩いてくる人影が見えた。
「花、花は要らんかね~」
 花売りである。年の頃は定かではないが、五、六歳の女の子を連れた花売りは、まだ若い女のようであった。
 頭上に乗せた籠には撫子や桔梗が溢れそうなほど入っている。
「あ、撫子」
 八重が思わず呟くと、嘉亨が通りすがりの花売りを呼び止め、撫子の花を一本買い求めた。
 籠を降ろして薄紅色の撫子を抜き取った花売りは、どうせもう売り物にはならないからと残りの花も豪儀に全部、八重に押しつけた。
「こんなに頂くわけには参りません」
 八重が首を振ると、女は浅黒い顔にソバカスの散った愛敬のある顔を綻ばせた。
「良いんですよ、どうせ売れ残っちまったもので、このまま持って帰ったって、棄てるだけなんだから、誰かが貰ってくれたら、花も歓ぶっていうもんです」
 嘉亨は少し多めに女に金を払い、女は幾度も礼を述べ、空になった籠を再び頭に乗せてから、子どもの手を引いて去っていった。
「ありがとう存じます」
 八重は嘉亨に丁重に頭を下げた。
「八重は撫子が好きなのか?」
 嘉亨が問いかけた時、一匹の蝶が花の甘やかな香りに誘われるように飛んできて撫子に止まった。
 八重が眼を見開く。
 嘉亨も吸い寄せられるように蝶を見つめた。
 蝶はしばらく花に止まっていたかと思うと、舞い上がり、今度は八重の髪に止まった。
 蒼色の羽に繊細な透かし模様を持つ蝶は、まるで最初からその場所にあった髪飾りのようにも見える。

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