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天空(そら)に咲く花~あのひとに届くまで~

第6章 撫子の君

 いつしか町人町を抜け、三人は外れまで来ていた。眼前に和泉橋が見えている。この橋を渡れば、和泉橋町―木檜藩邸がある武家屋敷町に至る。
 清冶郞が立ち止まり、そっと背後を振り返った。名残を惜しむかのように、愉しかった想い出を刻み込んでおくかのように、じいっと立ち尽くしひろがる町並みを眺めている。
 この橋を渡ってしまえば、二度と来ることはない町だ。幼い清冶郞にとっては、この橋は現実と夢幻―愉しいひとときの夢を繋ぐ橋でもあるのだろう。この橋を渡り、上屋敷に帰れば、また苛酷な現実と向き合わねばならない。
 その境目ともいえる橋の手前で立ち止まったことは、清冶郞の心の揺れを表しているのかもしれない。
 そろそろ長い夏の陽も暮れ始めていた。
 夕陽の色を映して、小さな川が流れている。
 清冶郞に合わせて、嘉亨と八重も歩みを止めた。
 何かを思案しているかのような眼で、嘉亨は静かに川辺に佇んでいた。
 真正面から見つめているはずなのに、夕陽に照らされた嘉亨の瞳からは想いが読めない。感情がないわけではない。確かに心の奥で何らかの想いが渦巻いているはずなのに、嘉亨は全く表面に出そうとはせず、瞳の奥は水面のように凪いでいる。
 その表面だけの静けさの底には、もしかしたら、嘉亨の正室尚姫への想いが絶えることのない川のように流れているのではないか。
 根拠があるわけでもない。嘉亨当人からはっきりと聞いたわけでもない。なのに、そんな風に考えてしまうのは、八重の勘繰り過ぎだろうか。それとも。
 身分違いの片想いに懊悩する八重には、そのようなことを考えることさえ許されないのか。

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