テキストサイズ

天空(そら)に咲く花~あのひとに届くまで~

第7章 第三話〝凌霄花(のうぜんかずら)〟・蜜月

 その日の夕刻、一旦は表に戻った嘉亨が再び奥向きに渡った。日に二度も奥向きに脚を踏み入れるのは、特に清冶郞が病の床についているのではない以外、滅多とないことだ。
 嘉亨は嫡子清冶郞の居室に三人分の夕餉を運ばせた。床の間を背にして嘉亨が上座に座り、向かい合って下座に清冶郞、更に二人より少し離れた後方に八重が控える。
 むろん、給仕を務めるのは八重である。
 床の間を飾る掛け軸には蓮の花を描いた墨絵が掛けられている。左端に小さく〝悠(ゆう)斎(さい)〟と記され、落款が押されている。この悠斎というのは、何を隠そう嘉亨自身の表徳(雅号)なのだ。嘉亨は能書家として知られる大名だが、絵筆を取っても玄人の画家はだしの作品を描く。時の将軍にもその作品が眼に止まり、直々にお褒めの言葉を賜ったこともあるほどの腕前だ。
 武門の家に生まれながらも、剣術よりは筆を握る方が性に合っているような人であった。寡黙で一人、静かに書見をしていることが多く、美男ではあるが、女を口説くとか、気の利いた科白一つ言えるような質ではない。質素倹約を旨とし、藩主自ら率先して粗末な着物を身につけ、食事も簡素なものを取るように心がけていた。
 一方、前夫人の尚姫は万事に派手好きで芝居見物に熱中し、役者狂いだったという。豪奢な打掛や帯を作るためには金に糸目はつけず、そのため、木檜藩のご金蔵は尚姫が入輿してからというもの、空になったとまで囁かれているほどの浪費家であった。全く相反する二人が端から馴染めなかったというのも頷ける話ではある。
 ちなみに、悠斎という号は〝悠々として生きる〟という意味を表し、何事が起きても動ずることなくありたいという嘉亨の生き方や姿勢を象徴している。

ストーリーメニュー

TOPTOPへ