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天空(そら)に咲く花~あのひとに届くまで~

第7章 第三話〝凌霄花(のうぜんかずら)〟・蜜月

 江戸家老の坂崎主膳但世に言わせれば、
―あのような万事につけ華美好みの奥方さまなぞ、一人お静かにお過ごしになる殿のお心をむやみにかき乱すだけの存在でござったろうよ。
 と、去った奥方に対する批判は手厳しい。
 もっとも、木檜藩の人々の尚姫への認識は概ね誰もが似たようなもので、結婚三年めにある日突然、自分から実家に帰った尚姫が大方、嘉亨の慎ましやかな暮らしぶりや人柄には辛抱しきれなかったのだと受け止めている。
 蓮の花の掛け軸の前には、青磁の壺に紫陽花がおおぶりに活けられている。まだ梅雨入りしてまもない時期とて、紫陽花はほんのかすかに蒼く色づいただけにすぎないが、部屋の中にいかにも初夏らしい風情を醸し出していた。
 その日、普段はあまり自ら喋らぬ嘉亨が珍しくよく喋った。しかし、向かい合う清冶郞は終始無言で、父の言葉にもろくに反応を返さない。いつもであれば、父の突然の来訪には歓んで、はしゃぎ回るのに、どうしたことか、幾ら嘉亨が何を言おうと、〝さようにございますか〟とか〝はあ〟とか曖昧な言葉を返すだけであった。
 大体、清冶郞は嘉亨の顔をまともに見ようともしない。ただうつむいて黙々と箸を動かすだけだ。八重の方がはらはらして、折角若君さまとおん水入らずでお過ごしになろうと思し召した殿のお心遣いを無駄にしてはならぬとばかりに気を遣う。
 傍らで甲斐甲斐しく飯をよそおったり、お茶を入れ替えたりと給仕に務め、時には僭越なふるまいと心得ながらも
「紫陽花が見事にございますね」
 などと、まだろくに色づいていない紫陽花までをもだしにしてその場を盛り上げようと努めた。

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