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天空(そら)に咲く花~あのひとに届くまで~

第1章 第一話〝招き猫〟―旅立ち―

「こんなことを言いたくはないが、藤二郎(とうじろう)(絃七の幼名。紙絃の歴代の主人は、絃七を名乗ったため、弥栄の父も主人となってからは絃七と改めた)―お前のおとっつぁんの借金は到底、うちのような小店が一度に肩代わりできるものではなかった。しかも、藤二郎とはもう、私がこの伊予屋に聟入りしてからというものは殆ど付き合いもなかったからね。だが、どんなに冷たい弟でも私にとってはこの世でたった一人の弟だ。そう思えばこそ、私はない袖を振って、恥を承知で方々の知り合いに頭を下げて回って金の工面をしたんだよ。おまけに、まだ半分近くは、返済も残ってる。私はこれから先々もずっとその返済をしなくてはならない。有り体に言って、生半可な気持ちでできることじゃない」
「そのことは、心から感謝しています。本当にどうお礼を申し上げて良いのか」
 弥栄が消え入りそうな声で言うと、弐兵衛は大仰に眼前で手のひらを振った。
「礼なんかは言って貰う必要はない。ただ、これだけは憶えておきなさい。私があの金の始末をつけなけりゃア、お前は今頃は吉原の遊廓にでも売られていたかもしれないんだからね。見も知らぬ男どもに夜毎、身体を売る暮らしと比べれば、万屋であろうと、我が儘な若君さまの遊び相手であろうと、ゆく先に文句を付けることはできないんじゃないか」
 恩着せがましい口調で言うだけ言うと、弐兵衛は、もう用は済んだとばかりに早口で言った。
「とにかく、万屋さんには断りの返事をしておこう。だが、お屋敷奉公の方はそのままにしておくからね。お前もここいらでよおく頭を冷やして考えてみると良い。もう、紙絃のお嬢さまとして甘えたことを言っていても良い身分じゃないんだ」
 弥栄は唇を噛みしめて、うなだれた。
 膝の上で堅く握りしめた両の拳がともすれば震えそうになる。熱いものが胸に込み上げた。手を握りしめていなければ、感情が眼から溢れてしまいそうだった。

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