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天空(そら)に咲く花~あのひとに届くまで~

第8章 哀しい別離

 ましてや清冶郞は八重を妻にしたいと真顔で言うほど気に入っているのだ。嘉亨が慎重になりすぎてしまうのは致し方ないことだろう。
 その日、嘉亨はなかなか表に帰ろうとしなかった。
「殿、そろそろ表にお戻りあそばされるお時間にございます」
 八重が気を利かせて言っても、嘉亨は立ち上がろうとしない。
「今日は清冶郞に逢うて帰ろうと思うのだ」
 いよいよ話をするときが来たと、嘉亨が判断たのかもしれない。緊張に身を固くした八重を、嘉亨が笑いながら見た。
「案ずるな。清冶郞は利発で優しい子だ、きっと我らの想いを理解してくれよう」
 嘉亨の言うように上手くゆけば良いと、祈るような気持ちになった。
 だが、その日に限って、清冶郞は戻ってこなかった。いつもなら戻ってくる時刻をおよそ四半刻が過ぎた。
「いかがなされたのでしょうか」
 八重が案じ顔で立ち上がろうとすると、嘉亨が事もなげに言った。
「甚左との話が長引いておるのだろう」
 嘉亨の言葉に、八重が再び浮かしかけた腰を下ろす。
 八重は小さな吐息を零し、何げなく頬に落ちた髪を右手でかき上げた。すべては無意識の中にした仕種であったが、傍らの嘉亨はしっかりと見ていたようだ。
「八重」
 ふいに掠れた声が耳許で囁き、八重はピクリと身を震わせた。
 八重自身は、その何げない仕種が嘉亨の眼にはひどく扇情的に見えたことには気が付かない。男の湿った吐息が耳朶に触れ、八重は知らずわずかに身を退いていた。

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