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天空(そら)に咲く花~あのひとに届くまで~

第1章 第一話〝招き猫〟―旅立ち―

 父が生きていた頃には、仕立物だけでなく琴や生け花、常磐津など実に色々な習い事をしていたが、お嬢さま暮らしであった時代はともかく、伯父の家の居候の身では、そのような習い事など通えるものではない。ただ一つだけ、裁縫にだけは通わせて貰えたのは、それが金儲けに役立つこともあろうかという義理の伯母おすみのひと言によるもので、それで伯父もその気になった。
 裁縫の師匠は昔の商売柄か、気さくで人あしらいも上手かった。情にも厚く、冷淡な伯母おすみよりは、よほど弥栄を可愛がってくれた。父が亡くなった直後も、困ったことがあれば何でも相談に乗るからねと頼もしい言葉をくれた。
 十になるかならない時分から通ってきただけに、裁縫教室には心を許せる友達も多く、名残は尽きなかった。
 最後の稽古を終え、暇乞いをした弥栄を師匠は抱きしめ、はらはらと涙を流した。
―必ず幸せにおなりよ。達者でね。
 弥栄は手先が器用で、教室の中では進み方も早かった。今では、小袖も楽々、しかも師匠が舌を巻くほどの腕前で縫う。
 今秋には蝋燭問屋に嫁ぐことが決まったというお智(さと)は、同い年ということもあってか、その中でもとりわけ大の親友であった。このお智は生憎と、裁縫の腕は今一つで、始めて四年経った今でも、浴衣を縫うのがやっとという有り様である。
 師匠の住まいを辞して、並んで歩きながら、お智がしみじみと言った。
「それにしても、凄いわねえ。御殿奉公だなんて。お弥栄ちゃん、お休みを頂いて帰ってくることがあったら、絶対に逢いにきてね」
 お智は両国の水茶屋の娘である。両国広小路には、床見世、つまり住まいのつかない店舗だけの店が居並んでいる。元々、その界隈は火よけ地のため、いざとなった時、すぐに店を畳めるように葦簀張りの簡単な店にしているのである。お智の父が営む水茶屋もそんな店の一つであったが、結構繁盛している。

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