天空(そら)に咲く花~あのひとに届くまで~
第8章 哀しい別離
「これで良かったのかい」
唐突に背後から問われ、八重はゆるゆると振り向く。
ひっそりと頷くと、おさんはもう、それ以上は何も言わなかった。まだ稽古が残っているからと、おさんはすぐに教室の方へと戻っていった。今は一人でいたかったので、おさんの気遣いは嬉しかった。その日は結局、八重の見ている娘たちもおさんがまとめて引き受けてくれた。
おさんには嘉亨との間のことは一切話してはいなかったけれど、既に大方のことは見当がついているようだ。何しろ、深川の名の知れた料亭の女将だった人である。人生の修羅場も幾度もかいくぐり、商売柄、様々な人を見てきた女だ。たとえ何も話さずとも、突如として訪れた男ぶりの良い武士と男に逢いたがらない八重の拘わりはとうに見抜いていることだろう。
嘉亨の訪問から更に二日経った日の夕暮れ刻のことであった。
西の空を残照が茜色に染め上げている。
蜜色の夕陽を浴びて、咲き誇る凌霄花が更にその色を深め、濃くしていた。蔓に幾つもついた花が燃えるような色に輝いている。よく熟れた果実の色合いを見せ、宵闇迫る庭で花は艶やかに咲き誇っていた。
見るともなしにその花を眺めやっていると、微笑を含んだ声が聞こえた。
「どうだい、これから湯屋にでも行かないか」
八重は、ゆるりと首を振る。
「何だい、何だい。あたしのようなお婆さんが毎日、湯屋に行って身体中磨いたって、今更どうもなりゃしない。お弥栄ちゃんのような若い人こそ、もっと綺麗に磨き立てておかなきゃ」
それでもまだ動こうとはせぬ八重に、おさんは大きな吐息を吐いて隣に座る。
唐突に背後から問われ、八重はゆるゆると振り向く。
ひっそりと頷くと、おさんはもう、それ以上は何も言わなかった。まだ稽古が残っているからと、おさんはすぐに教室の方へと戻っていった。今は一人でいたかったので、おさんの気遣いは嬉しかった。その日は結局、八重の見ている娘たちもおさんがまとめて引き受けてくれた。
おさんには嘉亨との間のことは一切話してはいなかったけれど、既に大方のことは見当がついているようだ。何しろ、深川の名の知れた料亭の女将だった人である。人生の修羅場も幾度もかいくぐり、商売柄、様々な人を見てきた女だ。たとえ何も話さずとも、突如として訪れた男ぶりの良い武士と男に逢いたがらない八重の拘わりはとうに見抜いていることだろう。
嘉亨の訪問から更に二日経った日の夕暮れ刻のことであった。
西の空を残照が茜色に染め上げている。
蜜色の夕陽を浴びて、咲き誇る凌霄花が更にその色を深め、濃くしていた。蔓に幾つもついた花が燃えるような色に輝いている。よく熟れた果実の色合いを見せ、宵闇迫る庭で花は艶やかに咲き誇っていた。
見るともなしにその花を眺めやっていると、微笑を含んだ声が聞こえた。
「どうだい、これから湯屋にでも行かないか」
八重は、ゆるりと首を振る。
「何だい、何だい。あたしのようなお婆さんが毎日、湯屋に行って身体中磨いたって、今更どうもなりゃしない。お弥栄ちゃんのような若い人こそ、もっと綺麗に磨き立てておかなきゃ」
それでもまだ動こうとはせぬ八重に、おさんは大きな吐息を吐いて隣に座る。