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天空(そら)に咲く花~あのひとに届くまで~

第8章 哀しい別離

 そう言った後で、おさんは自分の話が参考になるかどうかは判らないがと、前置きしてから話し始めた。
「昔の恥を話すようだけど、結婚前にとても好きな男がいてね。つまらないことで喧嘩して私は意地っ張りなものだから、向こうが謝りにきても、最後まで逢おうとしなかった。あたしの母親は後で後悔することになるよってしきりに言ったけどね。今になって、おっかさんの言っていたことの意味がよおく判るんだよ。そりゃア、見合いで結婚した亭主は良い人だったけど、やっぱり時々思ったもの。あの男と所帯を持ってたら、全く違う暮らしが待ってたんだろうなって」
 おさんがとりわけ衝撃を受けたのは、喧嘩別れした三ヵ月後に男がさっさと別の女と所帯を持ったと知ったときだった。半ば自棄でろくに思案もせず、親類の叔母が持ってきた見合い話を承諾したという。
「それが亭主さ」
 おさんは笑いながら話を締めくくった。
 おさんの自身の実家も小さな仕出し屋をしていて、娘の嫁入り話が決まった時、両親は名の知れた老舗の料亭に嫁ぐとは玉の輿だと大喜びしたそうだ。
「ああ、そうだ。いけない。大切なものを渡すのを忘れちまうところだったよ。お弥栄ちゃんの今の話を聞かなけりゃア、すっかり放(ほ)っぽちまうところだった」
 おさんは真顔になると、一旦立ち上がり、部屋を出ていった。少し後、戻ってきたおさんは小脇に風呂敷包みを抱えていた。
「これ、実は昨日の朝、あのお武家さまが届けて下さってね」
 おさんが小さな風呂包みを八重の前に押しやる。
 八重が包みを解くと、中からは手毬と根付けが現れた。家臣の誰かに届けさせれば済むことなのに、わざわざ自分で持参した嘉亨の心が切なかった。

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