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天空(そら)に咲く花~あのひとに届くまで~

第9章 祝言

 この日はあまたの僧侶が金堂で読経を捧げた後、集まった善男善女に紅白の餅を投げる。この餅の中には〝寿・福・浄・徳〟の四文字が刻まれているものが混じっており、これらを獲得した者はその年一年の幸いを約束されると伝えられていた。
 その日だけは、普段は静かな境内に所狭しと露店が建ち並び、大勢の参詣人で押すな押すなの賑わいを見せる。
 大池より更に南へ進む一角に墓地があった。ここは木檜藩の藩主及びその妻妾、子女の菩提所ともなっており、むろんのこと、庶民と藩主一族の墓所は厳重に仕切られていて、木檜藩主一族の墓地は廟のようなもので囲まれており、余人の立ち入ることは許されない。
 ここには、〝畜生公〟と畏怖された三代藩主木檜嘉嘉利などの墓もある。嘉利はかつて罪なき領民を次々に試し斬りにし、娘を犯し、稀代の暴君・暗君としてその名を知られている。この嘉利は二十五歳の若さで隠居させられ、数年後、病死した。一説には家臣たちに毒殺されたとも云われているが、真相は定かではない。
 従って、現在の藩主嘉亨は、この三代嘉利の直系ではない。嘉利は嗣子なきまま没し、その跡は分家から入った彼の又(また)従弟(いとこ)が継いだ。
 実は、四代藩主嘉兼が襲封するまで、木檜氏には、嘉利のような凶暴な性格の藩主が出ている。初代藩主嘉為(よしなり)の祖父である嘉瑛もまた〝戦(いくさ)神(がみ)〟と讃えられるほどの戦国武将として名を馳せながらも、その一方で残虐非道さを謳われた。対戦した武将はもとより、その家族、幼き子、使用人に至るまで無惨に殺し、征服した領地の女と見れば片っ端から強姦したという。

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