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天空(そら)に咲く花~あのひとに届くまで~

第9章 祝言

 四代嘉兼以降、木檜氏にこのような偏執狂的・猟奇的な性格を持つ当主は出ていない。嘉瑛や嘉利は恐らくは遺伝性の精神疾患を持っていたのではないかと推察される。
 当代の藩主嘉亨は数えて七代目になるが、穏やかで思慮深い人物であり、書や絵画も嗜み、また学問を好む学者としても知られていた。国許では善政をしく賢君として民にも人気がある。
 八重は、今日、この木檜氏の墓所に詣でにきたのだった。ここには先頃、わずか八歳で夭折した嘉亨の嫡男清冶郞が永(ね)眠(む)っている。
 清冶郞に仕えたのは一年余りにすぎなかったが、八重にとっては忘れがたい日々であった。むろん、廟の中にまでは入れないゆえ、外から拝礼するだけだ。八重はついでに木檜氏の歴代藩主や正室、側室の御霊にも拝礼してから、元来た道を辿り始めた。
 それでも、八重は不謹慎なようではあるが、ここに来ても、清冶郞に逢えたとは思えなかった。やはり、清冶郞を偲ぶのには、彼が大切にしていた手毬や招き猫を見ている方が良いような気がする。幼くして逝った清冶郞が手にした手毬を頬に押し当てると、清冶郞の笑顔や抱きしめたときの温もりが甦ってくるようだった。
 その招き猫は八重の帯飾りとして、帯の間に挟んで使っている。今も八重が歩く度に、胸許で揺れていた。
 墓地から戻る途中には奥ノ院がある。ここでも脚を止め、しばし手を合わせてから、更に歩く。やがて眼に入ってきたのは、朱塗りの小さな鳥居であった。鳥居の前まで石畳が続き、これは百度石である。その先にひっそりと佇む御堂は絵馬堂。格子状の両開きの扉には、無数の絵馬が掛けられている。その呼び名の由来である。

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