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天空(そら)に咲く花~あのひとに届くまで~

第9章 祝言

 そして、この時、二人とも口には出さなかったけれど、大きな変化に気付いていた。
 清冶郞の名が二人の間に出ても、何も起こらなかった。かつて自分を姉のように一途に慕った若君のことを嘉亨と一緒にいるときに思い出しても、ほんのわずかに胸に痛みが走るけれど、もう取り乱すことはなかった。
 今はただ懐かしく愛おしい若君さま。どうか安らかに眠って欲しいと思わずにはいられない。
 恐らく清冶郞は皆の記憶の中で生き続けるのだろう。八重の想い出の中、嘉亨の想い出の中、それぞれの人々の想い出の中で。
 想い出の中で清冶郞は永遠の生命を得る。それは哀しいことだけれど、慰めのようにも思えた。
 上屋敷の池で蓮の花が咲く度、これからも八重はずっと清冶郞を思い出すに違いない。清冶郞がこよなく愛した花を、あの愛らしい笑顔と共に。
「やっと二人きりになれた」
 八重が想いに浸っていると、嘉亨が手を伸ばして八重を引き寄せた。
「あっ」
 八重が狼狽えて抗おうとすると、嘉亨が真上から八重を見下ろす。たとえ祝言を挙げたとはいえ、八重の中では嘉亨との関係が特に変わったという自覚はない。
 ゆえに、急に迫られてくると、どうしても戸惑ってしまう。
「何を恥ずかしがることがある。我らはもう世にも認められた夫婦ぞ。私はこれでも随分と我慢しつたもりだ。婚儀を挙げるまでにも、幾度そなたに触れたいと思うたことか。もうこれ以上は待てぬ」
 嘉亨の抑揚のある声が耳朶をくすぐり、八重の華奢な身体がビクビクと震える。
 まるで身体中の感覚がいつもより鋭敏になったかのようだ。

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