天空(そら)に咲く花~あのひとに届くまで~
第1章 第一話〝招き猫〟―旅立ち―
與五六を見送りに店の表まで出た弥栄は、遠ざかる與五六に丁重に頭を下げた。與五六の背中が雑踏に紛れてもなお、弥栄はその場に立ち尽くしていた。
そっと手のひらを開くと、小さな招き猫が右手を上げて、おどけた顔でちょこんと座っている。そのいかにものんびりとした表情を見て、弥栄はクスリと忍び笑いを洩らした。
いよいよ二日後、弥栄は伊予屋を出る。お智の言葉どおり、これから飛び込んでゆく世界は、町家育ちの弥栄とは全く無縁だった場所だ。果たして、自分に若君の話し相手という大役が無事務まるのかどうかも判らない。
不安で一杯だった心が、このひょうきんな猫の顔を見ていると、少しずつやわらいでゆくような気がする。不思議と、何か良いことがありそうな予感さえするのだ。
考えてみれば、御殿奉公なんて滅多にできる経験ではない。少なくとも、伯父の許で懸かり人となったまま、伯父夫婦の冷たい視線に終始さらされ気兼ねばかりしながら暮らすよりは、よほど良いかもしれない。
―ともかく進むべき道は用意した。後は、お前の才覚次第で運を掴みなさい。
初めて御殿奉公の話を聞かされた日、伯父弐兵衛が口にした科白が耳奥で甦る。
もしかしたら、あの科白もこの招き猫が伯父の口を借りて言ったご神託のようなものだったのかもしれない。招き猫は、運を開くのも、折角与えられた運を手放してしまうのも、すべては自分(弥栄)次第なのだと、そう言っているようにも思える。
弥栄の手のひらの上で、招き猫の首輪が光った。春の陽を受けて、いっそう艶(つや)めいて見える紅色の石を眺めていると、心に温かいものが流れ込んでくるようだ。
弥栄はともすれば気弱になりそうな自分を懸命に叱咤する。手のひらの小さな招き猫を握りしめながら、この招き猫のもたらしてくれた運に縋ってみようと思った。
そっと手のひらを開くと、小さな招き猫が右手を上げて、おどけた顔でちょこんと座っている。そのいかにものんびりとした表情を見て、弥栄はクスリと忍び笑いを洩らした。
いよいよ二日後、弥栄は伊予屋を出る。お智の言葉どおり、これから飛び込んでゆく世界は、町家育ちの弥栄とは全く無縁だった場所だ。果たして、自分に若君の話し相手という大役が無事務まるのかどうかも判らない。
不安で一杯だった心が、このひょうきんな猫の顔を見ていると、少しずつやわらいでゆくような気がする。不思議と、何か良いことがありそうな予感さえするのだ。
考えてみれば、御殿奉公なんて滅多にできる経験ではない。少なくとも、伯父の許で懸かり人となったまま、伯父夫婦の冷たい視線に終始さらされ気兼ねばかりしながら暮らすよりは、よほど良いかもしれない。
―ともかく進むべき道は用意した。後は、お前の才覚次第で運を掴みなさい。
初めて御殿奉公の話を聞かされた日、伯父弐兵衛が口にした科白が耳奥で甦る。
もしかしたら、あの科白もこの招き猫が伯父の口を借りて言ったご神託のようなものだったのかもしれない。招き猫は、運を開くのも、折角与えられた運を手放してしまうのも、すべては自分(弥栄)次第なのだと、そう言っているようにも思える。
弥栄の手のひらの上で、招き猫の首輪が光った。春の陽を受けて、いっそう艶(つや)めいて見える紅色の石を眺めていると、心に温かいものが流れ込んでくるようだ。
弥栄はともすれば気弱になりそうな自分を懸命に叱咤する。手のひらの小さな招き猫を握りしめながら、この招き猫のもたらしてくれた運に縋ってみようと思った。