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天空(そら)に咲く花~あのひとに届くまで~

第10章 第四話〝空華(くうげ)〟・すれ違い

 たった今も良人の熱を帯びた視線や声、何より自分の身体中を這い回る指先の熱さを思い起こし、八重は我知らず一人、頬を赤らめる。
―私ったら、一体、何を考えているのだろう。
 自分で自分に呆れながら、我に返る。思わず、狼狽えて、はしたない考え事に浸っていた我が身を誰かに見られてはいないかと周囲を見回した。
 むろん、奥向きでも最も奥まった一角に当たるこの辺りには人影もない。磨き抜かれた廊下からは真冬の冷気が這い上がってくるようで、八重はかすかに身を震わせた。
 この頃、八重は自分の心を持て余すことがある。二年前、嘉亨と初めて出逢った当時も、嘉亨への報われぬ恋心に懊悩し、日毎募りゆく恋慕の想いに悶々としたことがあった。今は晴れて初恋の男と結ばれ、しかも、この身はたとえ三万石の小藩ときはいえ、れきしとした大名の正室であった。
 町方の娘、しかも父親は吉原の花魁と心中して果てた身であるにも拘わらず、江戸家老の養女となり、藩主の妻に迎えられたのである。巷では、誰もが羨む玉の輿、たいした出世よと八重のことが瓦版にも書き立てられたらしいが、当人としては、分不相応な幸せが長続きするのだろうかとかえって不安になってしまう。
 だが、これで良いのかと得体の知れぬ影に怯えながらも、嘉亨への想いは日々、深まるばかりだ。膚を合わせ、熱い淫らな時間の中で、あの強靱でしなやかな身体に抱きしめられると、切なくなるほどの恋慕を自分の中に感じる。はしたないと戒めつつも、高揚感を感じ、男への愛の深みにはまってゆく。

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