天空(そら)に咲く花~あのひとに届くまで~
第10章 第四話〝空華(くうげ)〟・すれ違い
ここは木檜藩上屋敷の奥向き、いわば将軍さまがお住まいの江戸城では大奥に当たる後宮だ。当主の嘉亨以外は、基本的には一切、男子禁制である。もっとも、江戸家老の酒井主膳を初め、主だった重臣の何人かは嘉亨から特に許可を与えられ、格別の用事のあるときのみに限り、脚を踏み入れることを許されている。が、その場合にしろ、外部の者との対面に使用されるご対面の間で話をすることが決められている。
今、八重がいる場所は奥向きでも更に最奥部になり、奥女中どころか、奥向きの女主人たる正室の八重ですら、滅多と脚を踏み入れることはない。実をいうと、八重自身、ここに来るのは初めてのことであった。
―八重。
またしても昨夜の閨での嘉亨の声が耳奥で甦り、頬をうす紅くした八重が何の気なしに眼の前の襖を開けたその瞬間、八重の幸せな想像は無惨にも断ち切られることになった。
八重が立っている廊下には両側に幾つか部屋が並んでいる。いずれも今は使用されてはおらぬ無人の部屋で、真っすぐいった突き当たりには、それらより更に広い座敷があった。 八重が今、開けたのはその突き当たりの座敷である。季節の花や鳥が描かれた襖は、どの部屋も似たようなもので、取り立てて変わりはない。しかし、襖を開け、一歩中に入った八重は息が止まるかと思った。
丁度、八重が佇む場所から数歩離れた前方に、床の間が見えている。その床の間も別段、奥向きのどの部屋とたいして変わったところはない。部屋の造りそのものでさえ、多少広いこしを除けば、目新しくはなかった。だが。
花も何も飾られてはおらぬ殺風景な床の間には、一幅の掛け軸が無造作に掛けられていて、その軸の中で一人の女人が妖艶に微笑んでいた。
今、八重がいる場所は奥向きでも更に最奥部になり、奥女中どころか、奥向きの女主人たる正室の八重ですら、滅多と脚を踏み入れることはない。実をいうと、八重自身、ここに来るのは初めてのことであった。
―八重。
またしても昨夜の閨での嘉亨の声が耳奥で甦り、頬をうす紅くした八重が何の気なしに眼の前の襖を開けたその瞬間、八重の幸せな想像は無惨にも断ち切られることになった。
八重が立っている廊下には両側に幾つか部屋が並んでいる。いずれも今は使用されてはおらぬ無人の部屋で、真っすぐいった突き当たりには、それらより更に広い座敷があった。 八重が今、開けたのはその突き当たりの座敷である。季節の花や鳥が描かれた襖は、どの部屋も似たようなもので、取り立てて変わりはない。しかし、襖を開け、一歩中に入った八重は息が止まるかと思った。
丁度、八重が佇む場所から数歩離れた前方に、床の間が見えている。その床の間も別段、奥向きのどの部屋とたいして変わったところはない。部屋の造りそのものでさえ、多少広いこしを除けば、目新しくはなかった。だが。
花も何も飾られてはおらぬ殺風景な床の間には、一幅の掛け軸が無造作に掛けられていて、その軸の中で一人の女人が妖艶に微笑んでいた。